実務補修所での研修
2007年11月17日
公認会計士2次試験に合格すると通常は会計士補に登録後、
すぐ実務補修所という会計士補のための学校に入学します。
私が合格した平成4年の頃は、だいたい週3回、夜の6時から8時くらいまで、
1年間の期間で補修がありました。現在では、仕事の合間に週3回はきついだろうということで、
週1~2回で2年間の補修期間となっています。
実務補修所は、いうなれば「公認会計士になるための基礎知識の学習場所」ということになるのですが、
これが会計士補には、あまり評判がよくない、というのが現状でしょう。
よく聞かれる理由は次のとおりです。
(1) 2年間にわたり週1~2回、6時に補修所の教室に間に合うように仕事を切り上げて行くのは、
会計士補のみならず、それに協力する監査法人や企業の側にも多大な負担を強いることになる。
つまり、5時くらいまでに仕事を切り上げさせるのは、現実問題として厳しい。
もちろん出張などの計画も、制約されてしまうことが多い。
(2) 1日働いた後だと精神的・体力的に消耗しており、疲れて集中できないことがある。
(3) 各教科の講義内容にレベルの差が激しく、中には実務に役立つかどうか
疑問のつく内容もあると思われる。
たしかに、ここに挙げたような不満の声も多く、
すべての補修内容が実務に完璧に役立つとは断言できません。
しかし、私個人としては、監査現場に補修所のテキストを持って行き、
これを大いに参考にさせてもらったこともありますし、ちょっとしたコンサルティング的な仕事を
するさいに引用させてもらったこともあります。
企業の実務に関する「幅広い基礎知識」を得るには、なかなか使える資料だと思います。
だから、補修所は面倒とも感じられるでしょうが、そこで配布される資料は取っておくと、
後で役立つことも多いですよ。
また、普段は他の企業にいる同業の人たちと顔を合わせる機会がないのですが、
実務補修所に行くと、まさにさまざまな立場の人が1ヵ所に集うわけですから、
そこでたくさんの知り合いでもできれば、いろいろと情報交換などもできる、
というメリットも見逃せません。
公認会計士になるためには、避けて通れない「実務補修所」、どうせ通うなら、
少しでも楽しみを見つけて、有意義に過ごした方が得だな、と思います。
受験生から会計の専門家へ
2007年11月16日
公認会計士の2次試験は、すでに周知のとおり、択一試験が5月、論文試験が7月にあり、
それらの激戦をくぐり抜けてきた合格者が、10月に発表されます。
いいかえれば、10月の合格発表を境にして、それまで受験生だった者が、
晴れて専門家の一員として認められることになるのです。
ここで皆さんに考えていただきたいことがあります。
「受験生と専門家の違いは何か?」
合格証書の有る無しでしょうか?もちろん、そういう形の上での区別も大事でしょう。
しかし、最も本質的な違いは、
「お金を払って知識を買う者」と「お金をもらって知識を売る者」の立場の違いなのです。
受験生は、合格するための知識を専門学校から提供される立場にあります。
いいかえれば、専門学校から見て「お客様」になりますから、多少乱暴な表現を許していただけるなら、
教室に座ってさえいれば、テキスト等の受験ノウハウが当然のように与えられます。
一方、公認会計士は、自分の持っている知識を提供して報酬を得るのが仕事です。
専門家として「商売のネタとなる知識」は、人から与えられるのを待っているだけでは、
いつまで経っても手にはいりません。誰も教えてはくれないのです。
もっと言うなら、クライアント(お客様)が「高い金を払っても欲しい!」と思えるような知識や情報を
1つ手に入れるために、専門家は、自分の手足を使い、
何十時間もの研究や工夫をしなければならないのです。
つまりは、「与えられた知識を要領よく消化する」のが受験生の努力目標なら、
「お客様に売れる知識を追い求め・自分の商売道具とする」のが専門家の使命なのです。
だから、私は、同じ「学ぶ」という行為であっても、受験生の立場なら「学習」といい、
専門家の立場なら「研究」と、敢えて呼び分けています。
受験生から専門家になるということは、「学生」から「研究者」になることだと、私は考えています。
地方出張の期待と不安
2007年11月15日
監査の現場にはじめて出てから半年ほど経った頃、最初の出張の仕事が入ってきました。
場所は四国です。
四国といえば「讃岐うどんと坂本竜馬」くらいの知識しか持ち合わせていませんでしたが、
ほとんど関東圏を出たことのない私にとっては、見知らぬ土地への期待でうきうきしていました。
当然飛行機に乗るのですが、これが私には生まれて初めての経験になります。
実は、当時の私は、どうしても「あの鉄の塊が空に浮いているのは信じがたい!」
という気持ちを変えることができませんでした。
だから、好奇心で飛行機には乗ってみたかったのですが、非常に恐怖心があったのも事実です。
しかし、監査人というのは、本当によく飛行機に乗る仕事だなあ、と当時は非常に感心しました。
多い時で、1ヶ月に3回くらい乗ったりしました。もちろんそれは地方出張が多いせいで、
やはり上場企業ともなると、全国津々浦々に支店や工場があるのですから、
当然そちらへ出向いて、きちんと会計業務が行われているかチェックしに行かなければならないのです。
おかげで、羽田空港と東京モノレールにはずいぶんとお世話になりました。
ある程度ベテランの公認会計士になると、出張は面倒になるようですが、
新人の会計士補にとっては、見るものや聞くもの全てが新鮮で、土地の美味いものは食べられるわ、
それでいて出張手当は出るわで、いいことずくめでした。
これは後で判明したのですが、監査法人に入所した頃は、健康診断でこれといって問題がなかったのに、
入所して3年目くらいから、血液検査の結果、コレステロールや中性脂肪、
それに肝機能を表すγ-GTPという数値がやたらと高くなってきました。
体重も、65㎏から75㎏まで増え、こりゃあさすがにやばいぞ、と危機感を覚えました
(参考までに、現在は入所時に戻っています)。
その原因の一端が、出張でカロリーの高いものを食べまくったことにあることは明白でした。
なお悪いことに、私の所属していた監査チームは4人ですが、
私を除く3人が50歳代で食事を控えていたため、何かとすぐ「柴山君は若いから、
俺たちの分もどんどん食べてよ!」といわれ、私も勢いから「ごっつあんです!」などと
調子に乗って残らず平らげていたものです。
入所4年目の頃には、真面目に、「このままでは成人病3大疾患コースまっしぐらではないか」
と危機感を覚えていました。
ここまで読むと、「美味いもん食いすぎて成人病が心配、というのが地方出張の不安かいな」
と立腹されるかもしれません。たしかに個人的にはそれも少しあったのですが、仕事面での不安は、
何と言っても「最終日の講評会」でした。
たとえば、4泊5日の予定で月曜日に事業所へ行ったとしましょう。
その週は監査のため、いろいろと調べるのですが、その結果をまとめて、
最終日である金曜日の午後4時とかそれくらいの時間に、事業所の経理関係者を集めて、
「講評」するのです。具体的には、監査で発見された問題点や改善すべき点などについて
担当分野ごとに発表していくわけです。
これは緊張しますよ!場合によっては、30人くらいの会社関係者がずらりと並び、
それらを前にして、有名人の記者会見さながらに、1人ずつ監査人として結果報告をするのですから。
ここで、うっかり特定の会社担当者にとって都合の悪いことを口走ろうものなら、
強烈な抵抗にあって、ぼこぼこに反撃されてしまうこともあります。
また、専門家としての適切なアドバイスが聞けるだろう、と皆が期待しているものですから、
1週間して何も指摘ができなかったりすると、「1週間も専門家の方が見たんだから、
何か1つくらい指摘して頂かないとねえ…」と皮肉が飛んでくることもあります。
しかし、いい面もあります。たしかにこの最終日の講評会は、かなりのプレッシャーがかかり、
非常に憂鬱ですが、今思うと、あれは人前で自分の考えを要領よく話す
格好の訓練になっていたことに気付きます。また、何か指摘できることを真剣に探そうとすれば、
自分なりに会社の業務や会計監査の基礎理論について深く研究することになり、
結局は自分の知識や経験が多く身に付くのです。
そんな、いろいろな教訓を与えてくれる地方出張は、私にとって貴重な社会経験および実務経験の場でした。
「先生」と呼ばれることの歯がゆさ
2007年11月14日
監査の現場に出ると、1日に3回以上は、会社の人から「〇〇先生」と呼ばれます。
これは、会計士補であっても、です。
はじめのうち、私は、この「先生」という響きが好きでした。
やはり、正直言って自尊心をくすぐります。しかし、そんな甘い気持ちは、間もなく消えてしまいました。
公認会計士2次試験では、会社の経理実務に関することまで問われませんので、
当然そのあたりの知識は全くありません。それでも人は私たちを「先生」と呼びます。
そして、「先生」、つまり先を生きているはずの人間である以上、
会社の人に知識面で遅れを取ることは、本来ないはずです。
このあたりのギャップが、とてもいやに思えた時期がありました。
「すみません、このあたりの実務について教えていただけますか?」
「わかりました。それじゃあ柴山先生、簡単なところからご説明いたしますね。」
こんなやりとりが時々ありました。教わりっぱなしの先生とは、何とも情けない話だ、
などと思いながら……
そういえば、2次試験の受験生時代に、こんな笑い話を聞いたことがあります。
ある会計士補が、売上取引の監査手続を行うため、会社の人に尋ねたそうです。
「売上代金として回収した約束手形などは、どこにありますか?」
「はい、当社の金庫に保管してあります。」
「そうですか。それでは金庫の中にある手形を拝見させてください。
あ、それから売掛金(未回収の売上代金、『飲み屋のつけ』もその一種です)も一緒に見たいのですが……」
「はあ?」
まるで漫才のような話です。
手形というのは、現物の証券ですから金庫にあるでしょうが、
『売掛金』というのは、いうなればあとで代金をもらう約束ですから、それを目で見ることは不可能です。合格率6%そこそこの難関試験を突破したまでは良かったのですが、
売掛金に何か形があるのかどうか、というあまりに当たり前のことは、
深く考えずに勉強してきたのですね。
今のは余談ですが、ある時期、特に自信がもてない新人の頃は、
実力と「先生」という呼び名とのはざまで居心地の悪さを大いに感じることがあります。
そうはいっても、「私を『柴山さん』と呼んでください!」とはカッコ悪くて言えません。
そこで、私は途中でこう考えることにしました。
会社の人に先生と呼ばれたからといって、全てにおいて格好をつける必要はないんだ。
会社の実務は謙虚に教わりながら、その一方で、自分が2次試験で身につけた会計・法律・経済
・経営に関する知識を活用することで、「先生」と呼ばれることに対して面目を保っていけばいいじゃないか。
このことは後でもう一度ふれますが、受験生時代の猛烈な勉強は、決してムダではありません。
その点については大いに自信を持って現場に臨めばいいのです。
専門家たる前に社会人たれ!
2007年11月13日
新人の頃、上司の先生に何度も聞かさせた言葉は、「専門家たるまえに社会人たれ!」でした。
わたしの最初の上司だったN先生は、とてもユニークなキャリアの持ち主で、
大学卒業後は長らく営業畑を歩いていました。
公認会計士2次試験を受験したのは30歳半ばだったそうです。
合格後は個人の税務事務所にも勤め、様々な会社経験をされていました。
そのためもあってか、確かに他の公認会計士の方々とは、雰囲気が違ったのです。
一番に目を引いたのは、何と言っても胸ポケットのハンケチです。きちんと3つに折って、
行儀良くポケットの上から顔がのぞいていました。
さらに、(本来なら当たり前なのでしょうが)スーツは常にパリッとしていて、
ズボンには折り目がついています。背広もしわになっていません。
当然、ワイシャツの腕にも折り目がつけられ、袖のカフスポタンがきらりと光っています。
そういえば、靴も常にピカピカでした。
もちろん、他の公認会計士がダサい、といっているわけではありません。お洒落な人もいっぱいいます。
ただ、どちらかというと「相手に対してどう自分を演出するか」というテーマには、
それほど強い関心を持っていないのが、平均的な公認会計士の意識だと思います。
その中にあって、「ビジネスマンとして、仕事の相手に自分をどう良く見せるか」ということを強く
意識されているのが、そういうことに鈍感な私でさえ気付くほど、体全体で表現されていました。
N先生が「社会人たれ」というのは、主に次のような理由からでした。
① ビジネスには、お互いの信頼関係が大事である。それには、必要最小限の約束事を守り、
相手から信用されるようにならなければならない。
② 人から「先生」と呼ばれることに慣れてしまうと、いきおい自分を何か偉い者のように
勘違いしてしまいがちである。人間、たとえ無意識にであっても、
慢心した時点で進歩が止まってしまう。そこで、専門家である前に、
ただの1社会人であることを強く自覚することで、常に謙虚さを失わないことが大切となる。
③ 一般の企業に勤める社会人の方たちと比べて、きちんとビジネス・マナーを学ぶチャンスが
極めて少ない。だから、より一層強い意識を持って自発的に身に付けないと、世間ずれした人間として、
ずっと年を重ねてしまう危険がある。
たしかにそのとおりです。これはうわさ話なので真偽のほどは不明ですが、
こんなことがあったそうです。
ある時、公認会計士2次試験に合格したばかりの会計士補が、監査先の会議室で作業をしていました。
ちょうど入口に背を向ける形で椅子に座っていました。
そこへ、新任の経理担当の方が、初対面のあいさつにやってきたのです。
「はじめまして、〇〇です。今後ともよろしくお願いいたします。」
そういって、名刺を差し出そうとしたのですが、当の会計士補君は振り向きもせず、
背中越しに名刺を受取り、あいさつもそこそこに作業を黙々と続けていたそうです。
ここまでひどくはないにしても、たとえばクライアント(得意先)に社外文書として郵便物を送るときの
宛名であるとか、同封する書類送付の案内文の書き方とか、
あるいは月曜の朝一番に電話を掛けるのは朝礼などの妨げにならないよう原則として遠慮するとか、
相手に失礼のないような行動を求められることが多々あります。
これは、各自の意識の問題で、良くも悪くもなるものです。もっと言うなら、監査という仕事は、
相手の協力がないと全く成り立たないものです。
たとえば、頼んだ資料をすぐに出してくれなかったり、重要な事実をわざと教えてくれなかったり
されると、仕事に大きな支障をきたしますし、日程だって、
相手がなかなかこちらの都合にあわせてくれない時などは、スケジュール調整に苦労します。
これも、相手との信頼関係のあるなしで天と地ほども変わってきますので、
やはり、お互い気持ちよく仕事を進めていくうえで、
社会人としてのマナーは意識して身に付けなければなりません。
「会計士補」という立場
2007年11月12日
公認会計士2次試験に合格した時は、厳密には「会計士補になる資格」を得たに過ぎません。
このあと、公認会計士協会に行って、所定の手続を行い、
さらに十万円以上の登録料を払ってはじめて「会計士補」になることができます。
それでは、「会計士補」とは、どのような地位なのでしょうか。
会計士補には「公認~」という頭の文字が無いことからもわかるように、
まだ公には会計士としては認められていません。したがって、
独自の名前で監査証明を出すことはもちろん、税理士業務を行うこともできないわけです。
これはまだ、実務経験や専門的知識がまだ不足していることを考えれば、
いたしかたないことといえるでしょう。
しかし、監査法人や個人会計事務所で補助者として業務を行うことにより、
同年代の一般企業の新入社員よりは1.5倍くらい良い報酬をもらい、
「先生」と呼ばれて仕事をすることができます。
また、世間ではあまり「公認会計士」と「会計士補」の違いを知らないせいか、
「2次試験合格=公認会計士」のようなイメージが強いらしいので、
何かと羨望の眼差しで見てもらえたのは、とても快感でしたね。
逆にいえば、まだ、それなりの責任を背負って仕事をするには、
もう少し知識と経験が必要な時期として、猶予期間を与えられたようなものです。
だから、この時期は、少しぐらいの失敗は恐れず気にせず、
目いっぱい研究(専門家のはしくれなのですから、「勉強」とは私は言いません)と
仕事に打ち込めばいいのです。
会計士補時代の3年間における、実務の取り組み方と研究の量によって、
その後のキャリアに大きな個人差がでます。なにごとも「はじめが肝心」なのです。
私も、監査の現場に出てはじめて、「ああ、人間、一生学び続けなければいけないんだな……」と強烈に実感しました。
初めて現場に行った日
2007年11月11日
念願の2次試験突破を果たし、やっと「会計士のタマゴ」になることができました。
他の合格した受験仲間の大部分がそうしたように、
わたしも、大手監査法人に就職することとなりました。
「これでやっと社会人になれる」
ようやく人生のスタートラインに立てたような気がして、毎日が夢心地でした。
10月中旬、わたしは国内部門に配属されました。
その後、あしかけ2週間の新人研修を経て、11月の初旬に初めての現場へでることが決まったのです。
初出勤を翌日に控えた夜のことです。母から電話がありました。
術後順調に回復したため、退院の許可をもらった、との連絡でした。
そのことを聞いた瞬間、一つ肩の重荷がおろせたような気分になったのを、今でもおぼえています。
「それでね…」
母が、言いにくそうに言葉を飲み込みます。
「なにか問題でも?」
「実は、これまでの入院費の未払い分、20万円近くを支払わないと、退院できないんだって。
ちょうど手持ちが今、なくってねえ。困ったよ」
20万円といえば、つい昨日まで無職同然の身だったわたしとしては、大変な金額です。
「まだ、給料日は先だしなあ…あ、そうだ。
そういえば、大学時代に作った〇×デパートのキャッシュカードで、
ちょうど20万円まで借りれたはずだよ。とりあえず、それで入院費を払おう」
あまり気が進まなかったのですが、背に腹はかえられません。
退院が延びれば、それだけ余計に入院費がかかります。
「悪いね。仕事をまた始められるようになったら、いずれ返すから」
母は、とてもばつが悪そうでした。
あくる日、いよいよ初出勤の時が来ました。
その日は朝からどんよりと雲が垂れ込め、今にも泣き出しそうな空模様でした。
わたしが所属することとなったチームは、4人で構成されていました。
おもしろいことに、他の先生方は3人とも50歳以上の方で、わたしにとっては、
親父が3人いるような、なんだか妙な感じでした。
朝は、往査先となる会社の最寄の駅に9時30分集合の予定でした。
初めてのことなので、ここはやはり早めに行くべきだろうと、
待ち合わせ時間の30分前に、到着しました。
それから20分ほどして、一人、また一人と公認会計士の先生がやってきます。
9時30分ちょうどになって、最後に、パートナー(役員)のN先生が到着しました。
「柴山君、今日からしっかり頼むよ。じゃあ行こうか」
N先生に続いて皆が歩き出そうとした時です。
「N先生、ちょっとすみません」
「どうした?」
「いや、実は…ちょっと緊急の用事で、キャッシュカードをつかえる場所を探しているのですが、
先生、この近くにあるかご存知ですか?」
N先生は、さすがに少々驚いたらしく、わたしの目をまじまじと見ていました。
「なんだ。いきなり金欠か?まあいい。
俺も若い頃は金がなくて、給料の前借りや質屋通いで苦労したもんさ。
キャッシュコーナーならあそこの角にあるよ。でもまあ、遊びもほどほどにな」
まるで、わたしが浪費ざんまいの挙句、金に困っているように勘違いされてしまいましたが、
言い訳をする気にもなれず、そそくさとお金を引き出しに行きました。
初めての現場に向かう記念すべき日に、いきなり20万円の借金…
人生、なかなか思い通りには行かないものです。
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