不況と資格取得
2007年12月03日
景気が長らく低迷し、誰もが先行きに不安を持つようになってから久しいですが、
そんなときこそ、「何か自分の実力を裏付けるものが欲しい」という心理が強く働くようです。
その意味で、資格を取得し、自分の可能性を広げよう、という選択は極めて正しいといえます。
以前、私が受け持っていた日商簿記検定試験の講義の受講生さんで、こんな人がいました。
「実は私、現在、あるテレビ局の美術関係を下請けしている関連会社に勤めているのですが、
最近、うちの会社がちょっと危なそうなので、いざというときに役に立つ資格として日商簿記検定を
受験しようと考え、申し込みました」
たしかに、日商簿記検定は、商売をやっている会社や商店ではかならず必要な、
帳簿記録の方法に関する知識を扱いますし、また、手ごろな難易度で、見事試験に合格すれば、
転職のさいにも履歴書に書いてアピールできるので、何かと便利な資格です。
また、公認会計士の資格を持っている立場から見ると、なおのこと、この不況の世の中にも仕事は
確実にあるので、職について不安を感じたことはほとんどありません。
したがって、資格というのは、景気の動きにあまり影響されない点が非常に魅力的であることから、
ますます受験生は増えていくことでしょう。
不況期こそ、自己の能力を高め、社会にアピールする手段として、資格取得は最適といえるのです。
知識と技術と哲学と…
2007年12月02日
専門学校の講師をしはじめた頃、
一番興味があったのは、「いかに短時間で合格レベルに受講生を引き上げるか」というった点でした。
つまり、 「究極の受験テクニック」です。
意識したのは、「この問題なら、こういう手順で解けばOK!」というような、機械的な解法パターンを作ることでした。
当時は、各回の講義の前には、最低でもその授業の時間数の3~5倍はかけて入念に準備し、
分刻みの講義スケジュールを作り、完璧なノートを用意していました。
あとは、事前に作ったノートに従って、オートマティックに講義を進行させるだけ、という状態にして…
しかし、何度かそれを試した結果、自分にとっての講義ノウハウを築く上では有効でしたが、
以外にも受講生に対してあまり受けが良くないことが分かりました。
その理由は簡単です。そもそも、「機械的に合格させるためのテクニック」という発想自体が
間違った方向性だったのです。つまり、「学習する」ということの人間的な側面を無視した結果だったのでした。
ある時、教室でこんなことがありました。テキストの問題を一緒に解いている時、
溜息交じりに、1人の受講生がふと漏らしたのです。
「なんか、勉強をしている、というより、決められたプログラムにしたがって無理にやらされているみたいで、すごく味気ないなあ…」
この言葉を聞いたとき、私はショックを受けました。
「効率的な学習」を意識しすぎたため、自分が受験生時代に体験して知っていたはずの、
「新しい知識を身に付ける喜び」や、「わかることの充実感」を、あまりにもなおざりにした講義をしていたんじゃないのか?
やっぱり、最後は「仕事は人間を相手にしているものなんだ」という基本的な問題をしっかりと
見つめることが一番大事だったのです。
それからは、教室で「知識」と「受験の技術」だけを教えるのではなく、
「自分の持っている、ビジネスや会計知識に対しての真剣な思い」、
つまり自分の哲学を伝えられたらどんなに素晴らしいだろう、と考えるようになりました。
そして、それを教室で実践するようになってから、受講生の反応が明らかに変わってきたのです。
授業の合間に、教育問題や戦後の日本における経済復興の意義、それに会計学という学問の歴史
や社会への役立ちなど、さまざまな事柄について自分なりの考え方を真剣に話したりすると、
みんなの目がぱっと明るくなり、教室はさながらゼミのような熱気を帯びてきます。
そんなとき、受験対策という枠を超え、学ぶことの楽しさを一緒に感じることができる。
これが、私にとって教室における最高の瞬間なのです。
どうやら、講師という仕事は私の性格にぴったりのようですね。
受講生のタイプと合格可能性
2007年12月01日
教室で指導をしていて、質問に答えたり、雑談をしたりしている最中に、
「あ、この人は合格する流れに乗っているな」と思えたり、
反対に、「うーん、このまま放っておいたら、ちょっと危ないな…」と思えたりすることが、ままあります。
それでは、受講生のタイプと合格可能性に、どんな相関関係があるのでしょうか?
以下に、私なりの見解を申し上げてみたいと思います。
まず、短期間で受かる可能性が高いな、と思える人の性格は、
何といっても「1つの事に深入りしすぎない」ということでしょう。
公認会計士のような難関資格に挑戦する人間としては、一見、矛盾のように思える話かもしれません。
でも、ちょっと考えてみてください。
同時に7科目を受験し、一定水準の答案を書けるようになる、とはいっても、
せいぜい数年間の勉強で得る知識ですから、各科目について長年研究をされていた学者の方々からすれば、
ある程度は限られた範囲の知識の中で勝負せざるを得ないだろう、ということは百も承知なのです。
つまり、試験委員の先生が答案の上で求めているのは、「学会で話題になっているような、
超マニアックな理論を知っていること」ではなく、「専門家なら誰でも知っているような共通の知識を、
ケースバイケースで使いこなせる」という、実務家としての素養なのです。
専門学校のテキストも、一般の専門書も、一冊の本に書かれていることすべてが
等しく重要なわけではありません。たとえば300ページのテキストがあったら、
繰り返し試験で直接聞かれる知識なんて、そのうちのせいぜい60~90ページ分くらいのものです。
つまり、実際の試験で、答案に表現するさいに核となる知識は、全体の2~3割程度で、
残りの7~8割は、その大事な箇所を理解するための飾りに過ぎません。
このあたりの感覚が鋭いと、どんな科目でも「無駄な勉強」をしなくてすみます。
つまり、先ほど申し上げた「深入りしない」というのは、言葉を変えれば、
「短期合格に必要のないところを捨てる要領の良さを持っている」ということに等しいのです。
こういった背景もあり、受かりそうな人と会話をすると、質問や雑談の中にも、
しっかりと核になる知識が入っていることに気付かされるのです。
そして、もうひとつ付け加えるならば、1つの知識と他の知識が、
うまく関連付けられて理解されているので、問題解決の引き出しがたくさん頭の中に出来上がっています。
こうなるとしめたものですね。全く新しい出題形式にあたっても、他の受験生がふうふう
言っているかたわらで、なんとかかんとか必要最小限の答えを導き出せるので、
安定して高得点が望めるわけです。
次に、なかなか合格しない人のパターンをいくつか、私の独断で上げてみたいと思います。
第1に、テストの点数が悪かった時などによく言い訳をする人は、自分の欠点を真っ直ぐ見つめられないので、
いつまでたっても苦手分野を克服できません。
こういう人は、ほとんど問題外の実力のまま、落ちていきます。
第2に、勉強のピントがずれている人は、なかなかテストの点数が上がらず、
いつも不安を抱えています。これは結構やっかいなパターンです。
ただ、こういうパターンにおちいりやすい人の傾向として、
①一つの勉強をしていると、すぐにその細かい論点にばかり目が行ってしまい、いま自分がどのあたりのことをやっているのか、という「大きな視点」がもてない場合と、②いつも1ページ目から順序良く勉強しないと気が済まず、途中でつっかえると、先へいけなく場合があるようです。
いずれの場合も、科目の「全体像」や「根本的な趣旨」という大きな物の見方をする習慣がないため、
ある問題に対して、的確な知識を引出せずに、まとはずれな答えを導いたりしてしまいます。
こういう人は、「わからないところはどんどん飛ばしてでも、とにかく全体を早く2~3回転させる」という発想に切り替えれば、あんがい良い方に流れが変わっていくかもしれませんが…
第3に、他の合格レベルの受験生に比べて「圧倒的に勉強量が少ないのに、それに気付いていない人」です。
以外にこういう人は多いんです。
ここで問題なのは、他人から見ればたいした勉強量じゃないにもかかわらず、
「自分はつらい思いをしていっしょうけんめい勉強しているのに、ぜんぜん効果があがらない」と思い込んでいる場合です。
これは、受験勉強を苦痛にしているからで、「わかってうれしい」とか、
「パズルを解いているみたいで楽しい」というような前向きな勉強ができないのが原因です。
人間、つらい努力は長続きしませんし、本人はやったつもりでも、充実感をもって努力している人に
比べると、全然レベルが違っています。
だから、第3のパターンで、受験勉強を苦痛にしてしまっている人は、ぜひ、早いうちに発想の転換をはかり、勉強の楽しみを見つけるような状況を作ることをお勧めします。
教室はノウハウの宝庫だ!
2007年11月30日
私はときどき、「教室はノウハウの宝庫だ!」と言うことがあります。
実はこれには、2つの意味があるのです。
1つ目の意味は、「受験生にとっての」ノウハウの宝庫ということです。
たとえば、あるテキストを使って、独学で簿記の知識を得ようとする人がいたとします。
とうぜんのことながら、その人は、テキストを1ページ目から順に読んでいくことでしょう。
そして、1ページ目に書いてあることが理解できたら2ページ目に移り、
さらに、2ページ目が理解できたところで3ページ目に移る…
こうして、最初の項目から、順に一つ一つ、どの項目も等しく理解するための努力を払っていきます。
「そんなの、あたりまえじゃない!何か問題あるの?」
きっと、そう言いたくなる人もいることでしょう。
でも、ちょっと待ってください。
どのような教科であっても、およそ学習というものは、全ての項目が等しく重要なわけではありません。
また、どの学習テキストを見ても分かるように、1番はじめのページから、易しい順に項目が
上手く配列されている、ということはまずありえないと言っていいでしょう。
つまり、本を読み進める途中で、必ずといっていいほど、「すごく理解に苦しむ」ような学習項目に、
何度となく当たるはずです。
そんなとき、1人で勉強していると、「ここが分からなければ、とても先へは進めない!」という強迫観念に襲われるのですね。
また、反対に、その教科を得意にするためには、「他の箇所より時間をかけて、じっくり完璧に
理解して欲しい」項目が、いくつかあるのです。
そういったことも、1回目にテキストを読む段階だと、見分けることはきっと難しいでしょう。
かくして、独学で一番怖い、「重要じゃないところも、すごく重要なところも、
全く同じエネルギーと時間をかけて勉強してしまう」という非効率的な現象におちいっていきます。
人は誰でも、単調な作業を長く続けることが苦手ですから、途中で挫折、ということにもなりかねません。
その点、教室には、その教科を一足先に勉強し、合格水準までマスターした講師がいます。
彼は、自分の経験から、一度読んだら飛ばしてよい項目を知っていますし、
逆に、絶対理解して欲しい最重要項目も熟知しています。つまり、
勉強にメリハリを与えることができるのです。
また、みんなが苦手とする、暗記を上手にやるコツとか、全体像の理解の仕方とか、さまざまな学習テクニックを学べることも見逃せません。
さらに、教室で仲間ができれば、いい気分転換にもなりますよね。
このように考えると、「教室が受講生にとってのノウハウの宝庫」であることが、十分理解できるでしょう。
それでは次に、2つ目の意味です。
それは、「講師にとっての」ノウハウの宝庫である、ということです。
私の場合を例に取りますと、ある講義の直前になって、突然、「あ、これはいい教え方かも!」と、
新しいアイディアが浮かぶことが良くあります。そんなとき、そのアイディアをさっそく教室で実行してみます。
そして、受講生の反応を確かめ、「使える教え方」かどうか、ちょっとした実験をするのです。
もちろん、思いつきが全て上手くいくわけではありませんから、「これはちょっとダメかな」、という結果に終わったこともままあります。
しかし、それが予想以上に良い反応で返ってくると、「これはいけるぜ!」と意を強くし、
指導ノウハウとして、しっかり私の頭の中にインプットされます。
実は、今の私が持っている指導ノウハウは、ほとんどが毎回の講義でちょっとした実験を行い、
培ってきたものと言えるのです。
やっぱり教室は、講師にとっても「ノウハウの宝庫」なんです。
「講師」という仕事の面白さ
2007年11月29日
平成10年7月に独立開業したとき、当面は税務業務の顧問先もないため、
月に2~3日の監査法人における非常勤の業務補助を行うかたわら、
専門学校で日商簿記検定の講師をすることにしました。
はじめのうちは、どうなるものかとても不安だったのですが、実際に教室で講義をしてみると、
これが非常に私の性格に合っていました。
さしあたり、日商簿記検定の3級と2級を担当しました。そのさい、教室にくる受講生は、
ほとんどが簿記の知識が全くないに等しく、私のひとことひとことに、
みんなが耳を澄ませて真剣に聞いてくれます。
また、教室にいる全ての人間のなかで、講師だけがみんなの注目を浴びています(これは当然!)。
教壇の上に立つと、さながらステージの上でパフォーマンスをしているかのような錯覚におちいるから
不思議です。もしかしたら、こんな感覚を覚えるのは私だけかもしれませんが、人前ではなすことが
非常に好きな自分を発見し、新鮮な驚きを覚えたほどです。
「どうやったら、自分の話を面白おかしく聞いてもらえるだろうか?」
「どういうふうに教えたら、みんなが理解してくれるだろうか?」
なんてことを考えているだけで、わくわくしてくるのです。
そして、事前に用意してきた教え方やトークが見事にはまって、みんなが喜んでくれた時には、
「この仕事をやっていてよかった!」と心底思えます。
もしかしたら、講師という仕事は、私の転職、いや天職かもしれませんね。
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