大手町の長い1日
2007年11月03日
3度目の合格発表の日がやってきました。
私は、この年、初めて合格発表の前日にぐっすり眠ることが出来ました。
特に感慨のようなものはありません。結果をみて、吉と出れば公認会計士への第1歩、凶と出れば、
同期の人間に3年ほど遅れて、勤め人になるだけのことです。
こういう心境を、「腹をくくった」と言うんでしょうね。
ともあれ、いつもより早い朝食をとり、通勤ラッシュにもまれながら、都営三田線の大手町駅を目指しました。
駅を降りると、やはり受験生らしき人の姿がちらほらと見えます。
彼らは、どんな思いで出口へと続く階段を上っているのでしょうか。
一歩一歩上っているうちに、ふと、それが合格へと続く道のように思えました。
「よく頑張ったね。そろそろ向こう側に行ってもいいよ」
神様からそう言われているような、不思議な心持でした。
合同庁舎の1階に着きました。まだ9時前です。発表までは少し間があります。
窓の所に寄りかかり、しばし外をボーっと眺めていました。
せわしげに人々が目の前を通り過ぎます。
彼らにとっては、今日という日は、昨日の続きであり、いつもと変わらない1日なのでしょう。
私や他の受験生にとっては…やはり特別な、人生の方向を決める1日になります。
ロビーにいる人の動きが慌しくなりました。どうやら、そろそろ合格者が発表されるようです。
エレベーターに乗り、発表場所へと近づいていきます。
目的地に到着し、皆が一斉にエレベーターを降りました。
掲示場所には、まだ合格者名簿は張られていません。
そこには、狭いスペースに何人もの受験生がひしめき合っています。
やがて、係の方が、合格者を掲示するべくやってきました。かたずを飲む瞬間です。
人だかりが静まり返ります。時が止まったようでした。
合格者が掲示されました。しかし、目の前は混雑していて、容易に近づけません。
仕方がないので、少し人が減るのを待つことにしました。
3~4分もすると、何とか割って入れそうな状況になりました。
掲示場所に歩み寄る途中、ガッツポーズをするもの、ハンカチで目を拭うもの、
明暗さまざまに私のそばを通り過ぎていきます。
「あった!」
自分の名前と受験番号を見つけました。
不思議と気持ちは穏やかです。
「とりあえず、もう2次試験の勉強をしなくて済むんだ」
それが最初の感想でした。
どこをどう通ったかは覚えていません。気が付いたら大手町の駅の改札前にいました。
公衆電話が目に入ったので、まずは入院中の親に連絡を入れました。
「おめでとう。これで病気も早く治るよ」
とにかくこれで、少しは親も安心してくれるでしょう。
やはり、肩の荷が下りた感じです。
私は、家に戻ると、また少し眠りました。
ずいぶん長く感じましたが、まだ1日の半分も終わっていないのでした。
人事を尽くして天命を待つ
2007年11月02日
図らずも、私が公認会計士2次試験に3度目のトライをしている時、母のガンが発覚しました。
すぐさま入院し、運良く無事手術を終え、3日に1度ほどの見舞いの日々を送っているうちに、
あっという間に9月となりました。
この頃、私が没頭したのは小説です。内田康夫さんの「天河伝説殺人事件」を一晩でいっきに読みきり、
それから1ヵ月の間に26冊の本を読み漁りました。だいたい1日に1冊のペースです。
受験生活が始まって3年目に、はじめて心穏やかに日々を過ごせたのがこの時でした。
結果はどうあれ、これが最後の受験です。
「人事を尽くして天命を待つ」
そんな心境に至ったのは、それまでの人生で2度目です。
1度目は、大学3年生のときでした。
当時、私は大学で、クラシックギターのサークルに入っており、
3年生の冬に、定期演奏会で独奏を演じる、という機会をもらいました。
曲目は、パガニーニ作曲の「カプリス24番」という、もともとバイオリンの曲です。
実のところ、1年前からその曲に取り組んでいながら、力不足もあり、
私にとってはあまりに難しい曲だったため、1度としてまともに最後まで弾きとおすことが出来なかったのです。
その状態は、前日のリハーサルでも変わりませんでした。
曲の途中で2度3度と止まってしまう私を、60人余りの部員は、心配そうに見つめます。
そして本番。もう待ったなしです。
私の属する年代は、「第22代」といわれ、それまでに20年以上続いていた歴史があります。
過去に独奏を演じた先輩方は、プロ顔負けの堂々たるメンバーばかりです。
もしかしたら、ギタークラブの歴史に汚点を残すかもしれない、と正直ビビっていました。
頼れるのは、前日まで1ヵ月、1日8時間以上練習し続けたという事実と自分の腕だけです。
本番直前、足が震えていました。ステージの脇から客席を見ると、100人ぐらいでしょうか、
観客が息を潜めています。
いよいよ、私の出番がきました。
アナウンスにうながされ、まだ1度も完走したことのない難曲に挑みます。
舞台の真ん中に、ぽつんと1つだけ、椅子が置いてあります。
そこに腰掛けると、こちらを照らすライトがまぶしく、観客席の様子が全く分かりません。
これは、私にとって非常にラッキーでした。
「そこには、私一人しかいない」
そう思い込むことが出来たのです。
次の瞬間、頭の中が真っ白になりました。
指が自分の意思を離れて、まるでそれ自身が生きているかのように、
なめらかに曲をなぞっていきます。私はただ、それを眺めているような、
不思議な感覚にとらわれていました。
もし、「無我の境地」というのがあるとしたら、あれがそうだったのかもしれません。
今でも夢のような15分間でした。
その時、初めて途中で止まらずに「カプリス24番」を最後まで弾けました。至福の瞬間です。
「人事を尽くして天命を待つ」
その言葉を最初に噛みしめたのは、演奏が終わった時でした。
3度目の正直と母のガン宣告
2007年11月01日
面白いもので、人間、自分自身に期限を区切り、本気でそれを守ろうとすると、
同じ努力でも格段の効果が得られるものなんです。それを3年目に実感しました。
そういえば、合格体験記をいろいろと読んでみると、
「今年を最後と思って勉強したら合格した」というくだりを時折見かけますが、あれは本当ですね。
さて、いよいよ万を持して3度目の正直に挑みました。
その年は、あらゆる手段を講じて有利にことを進めようと決めていたので、
はじめて東京以外で受験することにしました。
そして、試験会場は、親の実家に近い仙台としたのです。
事前に、仙台駅前のビジネスホテルに3泊分の予約を入れ、
試験前日に現地入りと会場の下見を行い、本番に備えました。
そして、いよいよ試験当日の朝を迎えました。
その日の朝は、出掛けに基本テキストの重要ポイントをざっと見ていました。
普通なら、直前期に使う試験委員対策用のテキストを見るところなのでしょうが、
それについては自信があったので、念のため、遠い昔にやった、
忘れかけている基礎知識の見直しをやろうと、気まぐれで思い立ったのです。
結果的にはそれが大成功でした。特に、商業簿記や財務諸表論、経営学などでは、
逆に基本的過ぎてみんなが忘れていそうな論点も出ていたので、思わずニンマリです。
「今年は上手くいきそうだ!」
初日から、そんな予感がありました。
3日目の試験が終わると、私は、そこから電車で1時間ほどの所にある祖父母の家へ、
2~3泊の予定で遊びに行きました。
途中、電車の中で解答速報を見ると、第1問と第2問の商業簿記がほぼ満点だったので、
「これは受かった!」と、思わずガッツポーズを決めていました。
家に着いた頃には、すっかり辺りは暗くなっていました。
祖父も祖母も、私の1年ぶりの来訪を心待ちにしていてくれたらしく、
非常にリラックスすることができました。
ちょうど夕食が終わった頃でした。電話がけたたましく鳴り響きます。
「もしもし。ああ、いるよ。ちょっと待って、今変わるから。政行、母さんからだよ」
祖母が、受話器を私に預けました。
「もしもし。おかげさまで無事終わりました。今度は手ごたえばっちりだから、大丈夫だと思う」
これを聞いて喜んでくれると思いきや、以外にも電話の向こうの声は、事務的で無感情なものでした。
「政行、落ち着いて聞いてな。実は3日前に病院で検査してもらって、子宮ガンだって言われたよ。
試験中に動揺させちゃまずい、と思って今日まで黙ってたんだ」
「…助かる見込みは?」
「多分助かるってよ」
体中の力が抜けました。
「それで、来月早々には手術だから、家の事、いろいろ迷惑かけるけど、頼むね」
そう言うなり、電話が切れました。
どうやら、祖父と祖母は知っていたようです。
すぐに入院する、と言っていたので、予定を早めて翌日、帰ることにしました。
人生、なかなか安穏としていられません。
日商簿記検定の上手な使い方
2007年10月31日
簿記・会計に関して、日本で最もポピュラーな資格試験に、「日商簿記検定試験」があります。
公認会計士の2次試験を受ける者なら、ちょうどいい力試しとして、
誰でも1度くらいは受けている試験です。
ここで、簡単に日商簿記検定試験について触れてみましょう。
<日商簿記検定の各級とその概要>
1.実施時期 2月・6月・11月の年3回(1級は6月・11月の年2回)
2.各級の試験科目・制限時間・合格ラインなど
(1級)試験科目 商業簿記(25点)・会 計 学(25点) … 1時間30分
工業簿記(25点)・原価計算(25点) … 1時間30分
合 格 点 70点以上(ただし、各科目のうち、ひとつでも10点未満があると不合格になる)
合 格 率 約10%~15%
受験者数 年間2万人~3万人
(2級)試験科目 商業簿記(60点)・工業簿記(40点) … 2時間
合 格 点 70点以上
合 格 率 約30%~40%
受験者数 年間13万人~15万人
(3級)試験科目 商業簿記(100点) … 2時間
合 格 点 70点以上
合 格 率 約40%~60%
受験者数 年間20万人以上
私が受験生の頃、入門コースで勉強をはじめてから約4ヵ月後、いきなり2級を受験し、
運良く合格することができました。
この時、苦手意識のあった工業簿記で満点に近い点数を取れたことが、非常に大きな自信となりました。
あとで思ったのですが、入門の勉強をはじめてから1~2ヵ月後くらいに3級を受けて、
もっと早くから簿記の勉強に弾みをつければ、なお良かったのかもしれません。
ともかく、簿記の勉強をはじめて2~3ヵ月くらい経った頃というのは、
ある意味、最初の壁にあたりやすい時期です。
やっぱり、慣れない勉強をはじめたばかりのうちは、新しい知識の洪水に不安をつのらせ、
精神的にも肉体的にもストレスが溜まってきます。
そんなとき、自分がそれまでやってきた勉強に対して、
目に見える形の結果を手にすることができれば、もう「勇気百倍」で、どんどん勉強が楽しくなります。
「俺の勉強方法はやっぱり間違っていなかったんだ!」
こう思えるようになれば、しめたものです。
そこで、簿記について初歩の段階の知識があることを証明してくれる日商3級をはやいうちに
受験して合格し、自信をつけることは非常に有意義といえるでしょう。
また、私のように、最初のうちは原価計算という科目がまったくできなかった人間にとっては、
当面の学習目標として、工業簿記の入門知識の達成度を試せる日商2級は、
絶好の練習試合の場となるのです。
さらに、日商1級は、かなり侮れない難関試験ですから、
私などは、受験勉強を開始してから1年後の6月になってからはじめて受けたほどです。
結果は何とか合格しましたが、はっきり言って、公認会計士2次試験の商業簿記や原価計算で、
そのまま出てもおかしくないくらいの難問が出題されることだってあるのですから、
ある意味、直前期の本気の力試しとして、これ以上の題材はないといえるでしょう。
たとえば、私の受験生時代の仲間で、6月に日商1級を受け、70点そこそこでやっとのこと受かった人間が、なんと直後の7月の公認会計士2次試験に見事合格しているのです。
こうしてみると、簿記・会計関係の知識に限っていえば、日商1級の合格レベルにいる方は、
公認会計士の受験に必要な知識の土台はできている、といってもさしつかえないと思います。
どうですか?
「日商簿記検定は、公認会計士試験や税理士試験を目指すものにとって、
本当に良い試金石になるんだ」ということが十分に納得できますよね。
1日の最長勉強時間
2007年10月30日
公認会計士の2次試験は、1日平均何時間くらい勉強すれば受かるのでしょうか?
これは私の感覚ですが、自分としては、1年目に一応合格可能圏まで来るまでに、
だいたい1日6時間平均×300日(週休1日として)=1,800時間程度かかったかな、と思います。
おおざっぱに言って、専門学校の講義関係が1,000時間、自習が800時間
そこそこ、といったところでしょうか。
実は2年目は、1年目に落ちたショックが尾を引いていたのか、
「ただ漫然と勉強しているだけ」という状態でした。
実際、多い時には1日12時間くらい机に向かっていたのですが、
それは、今思うと、習慣からくる惰性によるもので、大した上積みのない学習状況だったのです。
そして、本当の意味で気持ちの切り替えが出来ないまま2度目の受験の日を迎えてしまい、
まさに何となく受験をし、何となく落ちてしまいました。
しかし、さすがに2度目の合格発表の日は、大手町の合同庁舎の張り紙の前で、
悔し涙が止まらなかったのを覚えています。
思えば、公認会計士受験を決意したとき以来、ずっと心のどこかで、「そのうち何とかなるさ」と
気楽に考えていた部分があったのでしょう。
自分の名前の無い合格者名簿を2度目に見た時、痛烈に感じました。
「やっぱり俺は凡人だった」
そう思った時、はじめて、「今度を最後にしよう」と、自分に期限を決めたのです。
その年の冬、1年目の秋の感覚をやっと取り戻しました。2度目の「必死の勉強」です。
テーマを決めました。「苦手な商法を1週間で全範囲とおすこと」です。
期限は12月25日から翌年の1月3日までとしました。
その年は、クリスマスの喧騒も、紅白歌合戦も、新春かくし芸大会も全く気になりませんでした。
その間、1日の平均勉強時間は8~10時間でしたが、大晦日前の30日には、私自身の最高記録、
17時間という快挙(?)を達成しました。
しかし、決して真似をしないで下さい。だいたいにおいて、人間の脳みそはデリケートですから、
8時間を過ぎたあたりから、能率が落ちます。
17時間勉強をした日も、ほとんど途中からは冷やかし半分の感覚なので、
実際は7~8時間分相当の能率しか上がらなかったと思います。
要は、どれだけ集中して勉強したか、ですね。中身が濃ければ、
1日5時間程度の学習でも十分合格可能でしょう。
近所の目
2007年10月29日
不合格を知ってから翌日、落ち込んでいる間もなく、新たな挑戦が始まります。
私は、3ヵ月ぶりに専門学校に行き、上級者向けの講座を申し込みました。
最初の講義までまだ日がありますが、どうにも手持ちぶさただったので、
少し勉強してから帰ることにしました。
「また1年、お世話になります」
自習室を前にそんな独り言をつぶやき、ひょいと中を見ると、
教室の前の方にパンチ君とJ君がいるではありませんか。
「よう」
「なんだ。柴山も落ちたのかよ」
二人は、私の顔を不思議そうに見つめます。なんだか、少し居心地の悪さを感じました。
「まあ、そういう訳で、来年までよろしく!」
こんなことを言うと不謹慎に思われるでしょうが、やはり、同じ失敗をした仲間がいる、というのは心強いものです。
ただ、ここで気をつけなければいけないのは、「傷のなめ合い」的な付き合いにならないよう、
常に緊張感を維持することです。その意味で、受験仲間は、よくよく選んだ方がいいんですね。
上級コースは、1年合格コースの入門時と違って、
それほどカリキュラムが集中してあるわけではないので、比較的時間に余裕が持てました。
そうなると、いきおい、起床時間が遅くなります。
10月以降、年内の私の生活パターンは、午後10過ぎに起床後、
近所の喫茶店でモーニングを食べながら1時間ほどスポーツ新聞と漫画を読む、
という習慣から始まるものでした。
そんな生活が続いてから1ヵ月ほどしたある日、喫茶店で偶然近所の人に会いました。
「毎日、勉強も大変ねえ。でも勇気あるわあ。有名な会社に就職が決まっていたのをやめて、
受験に踏み切る打なんて…もし受かったら、私も税金の相談に乗ってもらおうかしら…」
一見同情しているかのような表情ですが、その声の調子には妙な張りがあります。
口元もほころんでいました。人の不幸は何とやら、というやつです。
「その時はよろしくお願いします」
そんなつもりないだろ、と心の中で舌打ちしましたが、もちろん顔には出しません。
実際、本当に受かった後、その人から相談に来たことは一度もありませんでした。
「今に見ていろ」
帰りがけ、彼女の背中に向かいながら、そう思いました。
しかし、気持ちと行動が一致するには、まだ、今しばらく時間を必要としたのです。
天国と地獄
2007年10月28日
公認会計士の論文試験は、7月の下旬に、3日間かけて行われます。
たいていその頃は、うっとうしい梅雨がちょうど明ける時期なので、
世間的には非常に嬉しいのでしょうが、受験生にとっては、その暑さが地獄だったりします。
私が受験した場所は、関東圏だったので早稲田大学でした。
試験会場となる教室は、冷房が効きません。30度を超える炎天下での体力勝負となります。
また、これは余談ですが、受験会場がどの地域かによって、環境が天と地ほどの差だったんですね。
たとえば、当時、東海や仙台の方で受験する場合には、会場に冷房が効いており、
非常に快適な受験環境でした。
したがって、東京在住の受験生でも、わざわざ地方にホテルを予約して、
泊り込みで越境受験する人が非常に多かったのです。
私は、初日の商業簿記でちょっとしたイージーミスをしてしまいました。
ただ、その後うまく気持ちを切り替えればよかったのですが、やはりそこは受験初心者、
経験不足を見事に露呈してしまったのです。
結局、それが後の2日間に暗い影を落としてしまい、後日見直すと、
「演習の時には出来てた論点じゃない!」という所を3つほど落としていました。
それでも、いろいろと他の受験生の出来具合を聞くと、
まだそれほど致命的なミスは無かったように思えたので、五分五分くらいに考えていました。
2ヵ月半後の10月上旬、運命の合格発表の日です。
その日は、大手町にある関東財務局の合同庁舎に、合格者の氏名と受験番号が張り出され、
また官報も発行されます。
ただ、各専門学校の方で、発表後いち早く情報を入手し、
合格した受験生には電話で連絡してくれるので、私は静かに自宅で朗報を待つことにしました。
通常は、合格した人は午前中に連絡を受け、その日の夕方に行われる合格祝賀会に呼ばれるのです。
やはり前の日は全く眠れないままに、朝を迎えました。
朝9時ジャスト、そろそろ合格者名簿が張り出されており、一方では官報が発行されている頃です。
私は、部屋の中をぐるぐる歩きながら、あてどもなく電話が鳴るのを待っていました。
時計が9時半を指しました。
「リリリリーン!」
突然、電話がけたたましく鳴り出したのです。
「やったあ!」
私は、喜びいさんで受話器を取り上げました。
「まさゆき?」
「…え?」
母でした。
「心配で電話してみたんだけど、結果、どうだった?」
「まだ分かんないよ!」
言い終わらないうちに、ガチャン、と電話を切りました。
一瞬喜んだ分だけ、落胆の度合いも大きなものでした。
そうこうしているうちに、1時間、また1時間と無情にも時は流れていきます。
「落ちたか…」
私は、午後になってやっと、現実を受入れる心境に至ることが出来ました。
気が付くと、朝から何も食べていませんでした。
でも、全く空腹を感じません。
「まだ早かったのかな…」
そう心の中で呟くのが精一杯でした。
公開模試
2007年10月27日
そんなこんなで、気が付くと受験開始から1年が経とうとしていました。
当時はまだ択一試験がなかったので、毎年、5月の中ごろには論文試験の全国公開模試が
各専門学校で行われていたのです。
中には、複数の専門学校の模擬テストを受ける人もいましたが、
私は、自分の通っている専門学校のみにしました。1つ受ければ十分だと思ったからです。
この頃、個人的に一番学習が進んでいた、と思えたのが「経済学」でした。
でも、別に経済学部出身だったからではありません。なぜなら、私の属していた大学の先生は、
多くが「マル経」つまりマルクス経済学の専門家だったからです。
事実、私は、公認会計士試験の受験勉強をはじめてしばらくの間は、
マルクスの資本論も試験範囲に当然入っていて、バリバリ勉強するはずだ、
ととんでもない勘違いをしていました。
私が大学に入った頃は、はじめに学ぶ経済原論といえば、マルクス経済学だったのです。
教授の中には、ロシア人よろしくあご髭をぼうぼうにはやし、
旧ソビエト時代の社会主義的ジョークをよく飛ばしている人もいました。ただ、私たち学生には高度す
ぎて、なかなか笑えませんでしたが…
話が横にそれましたが、経済学については、受験経験者にも負けない自信が当時ありました。
その根拠は、やはり「人の3倍勉強した」という経験です。
前の年の秋には、東大君のやり方をある程度吸収していたので、それを経済学で実践してみようと思い立ちました。
経済学の基本書と問題集を計8冊ほど購入しました。
その中で、一番早く通読できそうな本を一冊に絞り、それを徹底的に繰り返すことにしました。
個々の論点で分かりづらいところのみ、比較のため参照する資料として、
他の基本書を横においておくことにしたのです。
本を買ってから、最初の2週間で、とにかく1回通読しました。もちろん練習問題を、
分かろうが分かるまいが全部解いた上でのことです。
ここでのコツは、「とにかく前進あるのみ」です。少々分からないところは、どんどん飛ばして、
はやく一通り読み終えるのがポイントです。
それが、1回目に分からなくても、2回目に最初に戻る頃には、ある程度の知識もついてきている
ことから、案外簡単に理解できたりするものです。
こうして、1ヶ月の間に、経済学の全範囲を3回繰り返しました。
この時の経験が最も大きかったと、今では確信を持って言えます。
そうやって、順調に(?)学習を重ねた結果、6月に発表された初めての公開模擬試験の結果は、
予想外に良いものでした。
約1,000人の受験者に対し、おおむね100番ちょっとのところに位置することができました。
当時、上位200番以内だと、大体60~70%程度の合格率だったと記憶しています。
私は、思った以上の効果に、正直調子に乗っていました。
愚かなことに、すっかり「合格はもらった!」という気になっていたのです。
「柴山君、あとは体調に気をつけて、ペースを落とさないように。大丈夫!合格ラインに乗っているよ!」
よく受験の相談に乗ってもらっていた講師の方から励まされ、お調子者の私は、
無意識のうちに気を緩めてしまっていました。
精神面のコントールって、本当に難しいですよ。
いったん緩んでしまった緊張の糸は、簡単にもとへは戻りません。
なお始末に終えないのは、本人は「自分はちゃんと努力している」と思い込んでいながら、
知らず知らず手を抜いていることです。
競争というのは、相手があることです。2ヶ月前に有利な位置にあっても、
残りの時間で競争相手が自分の2倍勉強していたら、最後には逆転されてしまうものなのです。
そのことを、当時の私はまだ知りませんでした。
ゆかいな仲間たち
2007年10月26日
ここまで、パンチ君と東大君のことはかいつまんでお話しました。
ほかにも、我が「世捨て人仲間」には、個性的な人間が勢ぞろいです。
たとえば、当時の私よりちょうど10歳年上のJ君は、もとディスコ(今なら倶楽部、いやクラブですか?)
の店長で、渋谷の近くにマンションを持ち、BMWを乗り回し、
有価証券投資でウン千万円を稼いだらしい(これは噂ですが…)のです。
事実、ある休日に、私とパンチ君とJ君の3人が、渋谷の駅前を歩いていると、
道端でチラシだかチケットだかを女性に配りまくっていたカッコいい兄さん方が、
J君を見るなり直立不動となって、
「こんちはっす!Jさん、ごぶさたしてます!」
と、本当に体育会系よろしく気合のこもったあいさつをしてくるではありませんか。
その時、彼らに威風堂々と受け答えしているJ君は、さすがに貫禄がありました。
しかし、その一方で、「それだけの地位にいるのなら、何もリスクを背負って公認会計士を受けなくてもいいのでは?」
とちょっとだけ、考えてしまったりします。
しかし、彼にもカラオケボックスに連れて行ってもらったり、ずいぶんお世話になりました。
そういえば、こんなこともありました。
J君と私は、財務諸表論(つまり会計学)の学習内容について、
連日あれやこれやと議論を戦わせていた頃です。
財務諸表論の議論の中に、「減価償却」というのがあります。簡単にいえば、建物や設備を買ったら、
毎年、使うことによって少しずつ価値が減るので、その金額を見積もって、
今年分の価値減少額を計算・記録する、という手続です。
もちろんこの減価償却という言葉は、一般には全然なじみがありません。
彼も、連日の猛勉強で、すっかり頭の中は会計理論に支配されていたのでしょう。
ある時、真夜中に、彼のもとへ旧友からの電話があったそうです。
「もしもし、Jだけど…」
「ああ、J?俺だよ、わかる?」
「もちろんさ!」
こうして、二人は久方ぶりのコミュニケーションをとったのでした。
ところが、です。
J君は、つい今しがたまで深い眠りについていたため、あたまがノンレム睡眠状態からいまだ開放されていませんでした。つまり寝ぼけていたのです。そこで出た一言。
「ああ、そういえばさあ。お前の家、ちゃんと減価償却してる?」
「はあ?」
この話を聞いたとき、教室は爆笑の渦でしたが、ひとしきり笑い声が絶えた後、
数秒の沈黙がありました。
「明日はわが身…」
きっと、みんながそう思ったことでしょう。
他にもいろいろな人がいました。自分を振った彼女を見返してやろうと受験勉強を始めた人、
とてものんびりした性格が災いして、うっかり受験の申し込みを忘れてしまい、
「また来年!」となってしまった人、ちょっとわかるとすぐ「見切った!」と叫び、
実際は全くテストの点が上がらない人、などなど…
あの頃の仲間たちは、今、どうしていることでしょう。
みんな、合格しているといいな、と考えてみたりします。
柴山式受験ノウハウ
2007年10月25日
初めての講義が、期待と不安の中、終了しました。
1時間ほど昼休みを取った後、続けて2回目の講義が行われます。
私は、隣のパンチ君に声をかけました。
「君、簿記の勉強したことある?」
「いや、全然ないんだ。君は?」
「大学では経済学を専攻してたけど、全然勉強してなかったよ。」
「そう。俺は中央大学の法学部にいたから、はなっから簿記とか会計とかは縁がなかったな。」
「ふうん。でも、法学部なら司法試験を目指すのが普通じゃないの?」
そう問いかける私からふっと目をそらすと、パンチ君は決まり悪そうに答えました。
「いやあ、ほら、司法試験って合格率がすごく低いじゃない。
独立開業できる資格を取りたいと思ったんだけど、やっぱりもう少し合格率が高いほうがいいかな、
なんて思ったりして…」
なんか、どっかで聞いたような話です。案外同じようなことを考えている人が多いんだな、と思いました。
しかし、これはあとでつくづく実感したことなんですが、おそらく、2%だろうが6%だろうが、
10人に1人も受からない試験に変わりはないわけで、受かるタイプの人は受かる、
受からないタイプの人は受からない、という受験界の真理は確実に存在するんですね。
ちなみに、私は、受験勉強スタートにあたって、1つの戦略を立てました。
具体的には、東大・一橋、または早稲田・慶応あたりの人と友達になることです。
特に、東大生は意識しました。
「なんだ、これが戦略かいな!」
とがっかりしたあなた。まだ失望するのは早いですよ。
理由をお話します。
まず第1に、わたしはそれまで1日3時間以上の自宅学習をした経験がほとんどないこと、
第2に、大学受験の浪人時代にいたるまで、まともに塾へいった経験すらないこと、
さらには、浪人時代にも予備校の授業を半分も出ず、ゲームセンター浸りだった、
という厳然たる事実があります。
つまり、受験勉強のためのノウハウを全く持っていなかったのです。
そこで、私なりに悩んだ末、出した結論が、「東大生の勉強方法を真似しよう!」という戦略(?)でした。なにせ、彼らは小・中・高と、各世代で受験競争を勝ち抜いてきた、いわば「受験のプロ」です。
そのやり方を100%真似ることは無理かもしれませんが、8掛けぐらいは実行できるんではなかろうか、と考えたのです。
それでは、はたしてその成果は?
結論からいいましょう。そのやり方は大正解でした。
事実、私が目をつけた東大君は、大学1年生になったばかりで、
前年の駿台予備校の公開模擬試験で全国10位以内に入ったという天才児です。
ちなみに、彼は予想通り、翌年余裕で1発合格を果たしています。
おかげで、私も1年後には彼に及ばないものの、合格圏に入ることはできたのです。
あとは性格の問題だったのですが…
ともあれ、私はきらりと目を光らせながら、入門講座当初から彼の受験方法を逐一観察していました。
そして、あることに気付いたのです。
それは、「人の3倍勉強することを楽しんでいる。」ということでした。
この事実を目の当たりにしたとき、私は価値観を180度変えざるを得ませんでした。
たとえば、ある日こんなことがありました。
簿記の入門講義も第3クールにはいったころです。各クールごとに1冊ずつテキストが配本されます。
私たちは、第3クール第1回目の授業に望みました。
開始5分前のことです。ドラえもん先生が、私の隣にいた東大君の前に立ち、話しかけました。
「今回のテキスト、計算違いとか表記違いがあった?」
「いえ。大丈夫だったみたいですよ」
横で聞いていた私は、一瞬自分の耳を疑いました。
先生が1受講生に、テキストの内容に誤りがないかどうか尋ねているのです。
たしかに、その気になれば、テキストは2週間以上前に入手することは可能だったでしょう。
しかし、私などは、講義の当日にはじめて専門学校の受付で手にしたばかりです。
「ねえ。君はもう、このテキスト読んだの?」
おそるおそる聞いてみました。
「ええ。そうですけど」
別に入門なんだから、大したことないじゃん、といわんばかりの顔です。
「難しくなかった?」
「まあ、ときどき…でも、簿記って要するにパズルみたいなものだから、解説を読みながらやれば、
何とか独りでも勉強できますよ」
カルチャーショックでした。
私などは、簿記の勉強を苦痛と感じていました。
しかし、それが東大君にかかると「パズルの1つ」になってしまうのです。これでは勝負になりません。
それからもう1つ、印象的なことがありました。
その日は前回実施された実力テストの講評が行われました。
その時、珍しく、私が彼より少しだけ良い点数を取れたのです。
これは本当に嬉しかったですね。
その時、彼は私の答案を見て叫びました。
「ちっきしょー。やっぱり柴山さん、そこ、できてましたか。イージーミスしちゃいましたよ。
でも、次は絶対負けませんからね!」
人目もはばからず、悔しさを体いっぱいに表現していました。
しかし、それがまるで、サッカーの試合の後のようにさわやかな雰囲気なのです。
「負けたくない!」という気持ちが人一倍強いのでした。
彼の特徴を簡単にまとめます。
第1に、「人より3倍努力することを楽しんでいる」こと。
第2に、「強烈な競争心を持っている」こと。
第3に、「気持ちの切り替えが早い」こと。
これだけの資質を備えていれば、合格の栄冠は手中にしたも同然です。
ちなみに、はからずもこのことは、私が以前、池袋の営業で学んだことに通じるものがありました。
トップセールスマンの共通点です。
第1に、「人の遊んでいる時に努力を惜しまない」こと。
第2に、「ぜったい1番になってやる、という闘争心と、自信を持ち合
わせている」こと。
第3に、「お客さんから罵倒されても、すぐに立ち直れる」こと。
皆さん、どうですか?受験も仕事も、結局は自分自身との戦いである、と考えるならば、
高い目標を達成するための心がまえは、どんな場面であれ、本質的に同じなのではないでしょうか。
専門学校登校初日
2007年10月24日
その日は、朝から五月晴れで、とてもすがすがしく、受験勉強スタートにはもってこいでした。
私は、真新しい電卓とテキストを手に、商業簿記の入門講義に向かいました。
第1回の講義が始まる10分前に教室に着いたのですが、一歩そこに足を踏み入れ、
教室いっぱいの人にビックリしてしまいました。
そのクラスは、全部で50人以上いたでしょうか。すでに戦闘意欲むんむんの、むせ返るような熱気です。
とりあえず、後ろの方の座席は全てふさがっていたので、
しかたなく教卓に近い一番前の方まで歩いていきました。
入口から黒板の近くまでは、50メートルくらいあったでしょうか。
そこまでの道のりがとても長く感じられたのをよく覚えています。
黒板に向かって右側が窓のそばの席です。一番前の窓の近く、通路側の机が空いていました。
「ここ、いいですか?」
「どうぞどうぞ」
隣に座っていたのは、ややパンチパーマ気味のちょっとこわもての兄さんでした。
ほどなくして、簿記担当の先生がのっしのっしと壇上に上がって来ました。
体が(横も縦も)大きく、腕まくりしたYシャツの先から丸太のような腕がニョキッと生えています。
外見からは、とても知識産業の人には見えません。
その時は、公認会計士ってこのようにごつい人が多いんだろうか、と少し考えたりもしました。
「皆さんはじめまして。」
先生のあいさつが始まりました。話し口調がいかにもしゃきしゃきしていて、とても小気味よく、
私の波長に合う先生でホッとしました。
「ねえ君。」
となりのパンチ君が小声で私に話しかけます。
「なに?」
「あの先生、ドラえもんに似てない?」
なるほど、と思いました。
「でも、見ようによっては『巨人の星』の左門豊作っぽいよね」
「うまいこというね、くっくっく…」
私たちは、汗をかきかき熱っぽく公認会計士受験の心得を語る先生を尻目に、
ただただ笑いをかみ殺していました。
かくして、私の登校初日の授業は、なんとも緊張感に欠けたスタートとあいなったのです。
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