日商簿記検定の上手な使い方
簿記・会計に関して、日本で最もポピュラーな資格試験に、「日商簿記検定試験」があります。
公認会計士の2次試験を受ける者なら、ちょうどいい力試しとして、
誰でも1度くらいは受けている試験です。
ここで、簡単に日商簿記検定試験について触れてみましょう。
<日商簿記検定の各級とその概要>
1.実施時期 2月・6月・11月の年3回(1級は6月・11月の年2回)
2.各級の試験科目・制限時間・合格ラインなど
(1級)試験科目 商業簿記(25点)・会 計 学(25点) … 1時間30分
工業簿記(25点)・原価計算(25点) … 1時間30分
合 格 点 70点以上(ただし、各科目のうち、ひとつでも10点未満があると不合格になる)
合 格 率 約10%~15%
受験者数 年間2万人~3万人
(2級)試験科目 商業簿記(60点)・工業簿記(40点) … 2時間
合 格 点 70点以上
合 格 率 約30%~40%
受験者数 年間13万人~15万人
(3級)試験科目 商業簿記(100点) … 2時間
合 格 点 70点以上
合 格 率 約40%~60%
受験者数 年間20万人以上
私が受験生の頃、入門コースで勉強をはじめてから約4ヵ月後、いきなり2級を受験し、
運良く合格することができました。
この時、苦手意識のあった工業簿記で満点に近い点数を取れたことが、非常に大きな自信となりました。
あとで思ったのですが、入門の勉強をはじめてから1~2ヵ月後くらいに3級を受けて、
もっと早くから簿記の勉強に弾みをつければ、なお良かったのかもしれません。
ともかく、簿記の勉強をはじめて2~3ヵ月くらい経った頃というのは、
ある意味、最初の壁にあたりやすい時期です。
やっぱり、慣れない勉強をはじめたばかりのうちは、新しい知識の洪水に不安をつのらせ、
精神的にも肉体的にもストレスが溜まってきます。
そんなとき、自分がそれまでやってきた勉強に対して、
目に見える形の結果を手にすることができれば、もう「勇気百倍」で、どんどん勉強が楽しくなります。
「俺の勉強方法はやっぱり間違っていなかったんだ!」
こう思えるようになれば、しめたものです。
そこで、簿記について初歩の段階の知識があることを証明してくれる日商3級をはやいうちに
受験して合格し、自信をつけることは非常に有意義といえるでしょう。
また、私のように、最初のうちは原価計算という科目がまったくできなかった人間にとっては、
当面の学習目標として、工業簿記の入門知識の達成度を試せる日商2級は、
絶好の練習試合の場となるのです。
さらに、日商1級は、かなり侮れない難関試験ですから、
私などは、受験勉強を開始してから1年後の6月になってからはじめて受けたほどです。
結果は何とか合格しましたが、はっきり言って、公認会計士2次試験の商業簿記や原価計算で、
そのまま出てもおかしくないくらいの難問が出題されることだってあるのですから、
ある意味、直前期の本気の力試しとして、これ以上の題材はないといえるでしょう。
たとえば、私の受験生時代の仲間で、6月に日商1級を受け、70点そこそこでやっとのこと受かった人間が、なんと直後の7月の公認会計士2次試験に見事合格しているのです。
こうしてみると、簿記・会計関係の知識に限っていえば、日商1級の合格レベルにいる方は、
公認会計士の受験に必要な知識の土台はできている、といってもさしつかえないと思います。
どうですか?
「日商簿記検定は、公認会計士試験や税理士試験を目指すものにとって、
本当に良い試金石になるんだ」ということが十分に納得できますよね。
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1日の最長勉強時間
公認会計士の2次試験は、1日平均何時間くらい勉強すれば受かるのでしょうか?
これは私の感覚ですが、自分としては、1年目に一応合格可能圏まで来るまでに、
だいたい1日6時間平均×300日(週休1日として)=1,800時間程度かかったかな、と思います。
おおざっぱに言って、専門学校の講義関係が1,000時間、自習が800時間
そこそこ、といったところでしょうか。
実は2年目は、1年目に落ちたショックが尾を引いていたのか、
「ただ漫然と勉強しているだけ」という状態でした。
実際、多い時には1日12時間くらい机に向かっていたのですが、
それは、今思うと、習慣からくる惰性によるもので、大した上積みのない学習状況だったのです。
そして、本当の意味で気持ちの切り替えが出来ないまま2度目の受験の日を迎えてしまい、
まさに何となく受験をし、何となく落ちてしまいました。
しかし、さすがに2度目の合格発表の日は、大手町の合同庁舎の張り紙の前で、
悔し涙が止まらなかったのを覚えています。
思えば、公認会計士受験を決意したとき以来、ずっと心のどこかで、「そのうち何とかなるさ」と
気楽に考えていた部分があったのでしょう。
自分の名前の無い合格者名簿を2度目に見た時、痛烈に感じました。
「やっぱり俺は凡人だった」
そう思った時、はじめて、「今度を最後にしよう」と、自分に期限を決めたのです。
その年の冬、1年目の秋の感覚をやっと取り戻しました。2度目の「必死の勉強」です。
テーマを決めました。「苦手な商法を1週間で全範囲とおすこと」です。
期限は12月25日から翌年の1月3日までとしました。
その年は、クリスマスの喧騒も、紅白歌合戦も、新春かくし芸大会も全く気になりませんでした。
その間、1日の平均勉強時間は8~10時間でしたが、大晦日前の30日には、私自身の最高記録、
17時間という快挙(?)を達成しました。
しかし、決して真似をしないで下さい。だいたいにおいて、人間の脳みそはデリケートですから、
8時間を過ぎたあたりから、能率が落ちます。
17時間勉強をした日も、ほとんど途中からは冷やかし半分の感覚なので、
実際は7~8時間分相当の能率しか上がらなかったと思います。
要は、どれだけ集中して勉強したか、ですね。中身が濃ければ、
1日5時間程度の学習でも十分合格可能でしょう。
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近所の目
不合格を知ってから翌日、落ち込んでいる間もなく、新たな挑戦が始まります。
私は、3ヵ月ぶりに専門学校に行き、上級者向けの講座を申し込みました。
最初の講義までまだ日がありますが、どうにも手持ちぶさただったので、
少し勉強してから帰ることにしました。
「また1年、お世話になります」
自習室を前にそんな独り言をつぶやき、ひょいと中を見ると、
教室の前の方にパンチ君とJ君がいるではありませんか。
「よう」
「なんだ。柴山も落ちたのかよ」
二人は、私の顔を不思議そうに見つめます。なんだか、少し居心地の悪さを感じました。
「まあ、そういう訳で、来年までよろしく!」
こんなことを言うと不謹慎に思われるでしょうが、やはり、同じ失敗をした仲間がいる、というのは心強いものです。
ただ、ここで気をつけなければいけないのは、「傷のなめ合い」的な付き合いにならないよう、
常に緊張感を維持することです。その意味で、受験仲間は、よくよく選んだ方がいいんですね。
上級コースは、1年合格コースの入門時と違って、
それほどカリキュラムが集中してあるわけではないので、比較的時間に余裕が持てました。
そうなると、いきおい、起床時間が遅くなります。
10月以降、年内の私の生活パターンは、午後10過ぎに起床後、
近所の喫茶店でモーニングを食べながら1時間ほどスポーツ新聞と漫画を読む、
という習慣から始まるものでした。
そんな生活が続いてから1ヵ月ほどしたある日、喫茶店で偶然近所の人に会いました。
「毎日、勉強も大変ねえ。でも勇気あるわあ。有名な会社に就職が決まっていたのをやめて、
受験に踏み切る打なんて…もし受かったら、私も税金の相談に乗ってもらおうかしら…」
一見同情しているかのような表情ですが、その声の調子には妙な張りがあります。
口元もほころんでいました。人の不幸は何とやら、というやつです。
「その時はよろしくお願いします」
そんなつもりないだろ、と心の中で舌打ちしましたが、もちろん顔には出しません。
実際、本当に受かった後、その人から相談に来たことは一度もありませんでした。
「今に見ていろ」
帰りがけ、彼女の背中に向かいながら、そう思いました。
しかし、気持ちと行動が一致するには、まだ、今しばらく時間を必要としたのです。
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天国と地獄
公認会計士の論文試験は、7月の下旬に、3日間かけて行われます。
たいていその頃は、うっとうしい梅雨がちょうど明ける時期なので、
世間的には非常に嬉しいのでしょうが、受験生にとっては、その暑さが地獄だったりします。
私が受験した場所は、関東圏だったので早稲田大学でした。
試験会場となる教室は、冷房が効きません。30度を超える炎天下での体力勝負となります。
また、これは余談ですが、受験会場がどの地域かによって、環境が天と地ほどの差だったんですね。
たとえば、当時、東海や仙台の方で受験する場合には、会場に冷房が効いており、
非常に快適な受験環境でした。
したがって、東京在住の受験生でも、わざわざ地方にホテルを予約して、
泊り込みで越境受験する人が非常に多かったのです。
私は、初日の商業簿記でちょっとしたイージーミスをしてしまいました。
ただ、その後うまく気持ちを切り替えればよかったのですが、やはりそこは受験初心者、
経験不足を見事に露呈してしまったのです。
結局、それが後の2日間に暗い影を落としてしまい、後日見直すと、
「演習の時には出来てた論点じゃない!」という所を3つほど落としていました。
それでも、いろいろと他の受験生の出来具合を聞くと、
まだそれほど致命的なミスは無かったように思えたので、五分五分くらいに考えていました。
2ヵ月半後の10月上旬、運命の合格発表の日です。
その日は、大手町にある関東財務局の合同庁舎に、合格者の氏名と受験番号が張り出され、
また官報も発行されます。
ただ、各専門学校の方で、発表後いち早く情報を入手し、
合格した受験生には電話で連絡してくれるので、私は静かに自宅で朗報を待つことにしました。
通常は、合格した人は午前中に連絡を受け、その日の夕方に行われる合格祝賀会に呼ばれるのです。
やはり前の日は全く眠れないままに、朝を迎えました。
朝9時ジャスト、そろそろ合格者名簿が張り出されており、一方では官報が発行されている頃です。
私は、部屋の中をぐるぐる歩きながら、あてどもなく電話が鳴るのを待っていました。
時計が9時半を指しました。
「リリリリーン!」
突然、電話がけたたましく鳴り出したのです。
「やったあ!」
私は、喜びいさんで受話器を取り上げました。
「まさゆき?」
「…え?」
母でした。
「心配で電話してみたんだけど、結果、どうだった?」
「まだ分かんないよ!」
言い終わらないうちに、ガチャン、と電話を切りました。
一瞬喜んだ分だけ、落胆の度合いも大きなものでした。
そうこうしているうちに、1時間、また1時間と無情にも時は流れていきます。
「落ちたか…」
私は、午後になってやっと、現実を受入れる心境に至ることが出来ました。
気が付くと、朝から何も食べていませんでした。
でも、全く空腹を感じません。
「まだ早かったのかな…」
そう心の中で呟くのが精一杯でした。
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公開模試
そんなこんなで、気が付くと受験開始から1年が経とうとしていました。
当時はまだ択一試験がなかったので、毎年、5月の中ごろには論文試験の全国公開模試が
各専門学校で行われていたのです。
中には、複数の専門学校の模擬テストを受ける人もいましたが、
私は、自分の通っている専門学校のみにしました。1つ受ければ十分だと思ったからです。
この頃、個人的に一番学習が進んでいた、と思えたのが「経済学」でした。
でも、別に経済学部出身だったからではありません。なぜなら、私の属していた大学の先生は、
多くが「マル経」つまりマルクス経済学の専門家だったからです。
事実、私は、公認会計士試験の受験勉強をはじめてしばらくの間は、
マルクスの資本論も試験範囲に当然入っていて、バリバリ勉強するはずだ、
ととんでもない勘違いをしていました。
私が大学に入った頃は、はじめに学ぶ経済原論といえば、マルクス経済学だったのです。
教授の中には、ロシア人よろしくあご髭をぼうぼうにはやし、
旧ソビエト時代の社会主義的ジョークをよく飛ばしている人もいました。ただ、私たち学生には高度す
ぎて、なかなか笑えませんでしたが…
話が横にそれましたが、経済学については、受験経験者にも負けない自信が当時ありました。
その根拠は、やはり「人の3倍勉強した」という経験です。
前の年の秋には、東大君のやり方をある程度吸収していたので、それを経済学で実践してみようと思い立ちました。
経済学の基本書と問題集を計8冊ほど購入しました。
その中で、一番早く通読できそうな本を一冊に絞り、それを徹底的に繰り返すことにしました。
個々の論点で分かりづらいところのみ、比較のため参照する資料として、
他の基本書を横においておくことにしたのです。
本を買ってから、最初の2週間で、とにかく1回通読しました。もちろん練習問題を、
分かろうが分かるまいが全部解いた上でのことです。
ここでのコツは、「とにかく前進あるのみ」です。少々分からないところは、どんどん飛ばして、
はやく一通り読み終えるのがポイントです。
それが、1回目に分からなくても、2回目に最初に戻る頃には、ある程度の知識もついてきている
ことから、案外簡単に理解できたりするものです。
こうして、1ヶ月の間に、経済学の全範囲を3回繰り返しました。
この時の経験が最も大きかったと、今では確信を持って言えます。
そうやって、順調に(?)学習を重ねた結果、6月に発表された初めての公開模擬試験の結果は、
予想外に良いものでした。
約1,000人の受験者に対し、おおむね100番ちょっとのところに位置することができました。
当時、上位200番以内だと、大体60~70%程度の合格率だったと記憶しています。
私は、思った以上の効果に、正直調子に乗っていました。
愚かなことに、すっかり「合格はもらった!」という気になっていたのです。
「柴山君、あとは体調に気をつけて、ペースを落とさないように。大丈夫!合格ラインに乗っているよ!」
よく受験の相談に乗ってもらっていた講師の方から励まされ、お調子者の私は、
無意識のうちに気を緩めてしまっていました。
精神面のコントールって、本当に難しいですよ。
いったん緩んでしまった緊張の糸は、簡単にもとへは戻りません。
なお始末に終えないのは、本人は「自分はちゃんと努力している」と思い込んでいながら、
知らず知らず手を抜いていることです。
競争というのは、相手があることです。2ヶ月前に有利な位置にあっても、
残りの時間で競争相手が自分の2倍勉強していたら、最後には逆転されてしまうものなのです。
そのことを、当時の私はまだ知りませんでした。
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ゆかいな仲間たち
ここまで、パンチ君と東大君のことはかいつまんでお話しました。
ほかにも、我が「世捨て人仲間」には、個性的な人間が勢ぞろいです。
たとえば、当時の私よりちょうど10歳年上のJ君は、もとディスコ(今なら倶楽部、いやクラブですか?)
の店長で、渋谷の近くにマンションを持ち、BMWを乗り回し、
有価証券投資でウン千万円を稼いだらしい(これは噂ですが…)のです。
事実、ある休日に、私とパンチ君とJ君の3人が、渋谷の駅前を歩いていると、
道端でチラシだかチケットだかを女性に配りまくっていたカッコいい兄さん方が、
J君を見るなり直立不動となって、
「こんちはっす!Jさん、ごぶさたしてます!」
と、本当に体育会系よろしく気合のこもったあいさつをしてくるではありませんか。
その時、彼らに威風堂々と受け答えしているJ君は、さすがに貫禄がありました。
しかし、その一方で、「それだけの地位にいるのなら、何もリスクを背負って公認会計士を受けなくてもいいのでは?」
とちょっとだけ、考えてしまったりします。
しかし、彼にもカラオケボックスに連れて行ってもらったり、ずいぶんお世話になりました。
そういえば、こんなこともありました。
J君と私は、財務諸表論(つまり会計学)の学習内容について、
連日あれやこれやと議論を戦わせていた頃です。
財務諸表論の議論の中に、「減価償却」というのがあります。簡単にいえば、建物や設備を買ったら、
毎年、使うことによって少しずつ価値が減るので、その金額を見積もって、
今年分の価値減少額を計算・記録する、という手続です。
もちろんこの減価償却という言葉は、一般には全然なじみがありません。
彼も、連日の猛勉強で、すっかり頭の中は会計理論に支配されていたのでしょう。
ある時、真夜中に、彼のもとへ旧友からの電話があったそうです。
「もしもし、Jだけど…」
「ああ、J?俺だよ、わかる?」
「もちろんさ!」
こうして、二人は久方ぶりのコミュニケーションをとったのでした。
ところが、です。
J君は、つい今しがたまで深い眠りについていたため、あたまがノンレム睡眠状態からいまだ開放されていませんでした。つまり寝ぼけていたのです。そこで出た一言。
「ああ、そういえばさあ。お前の家、ちゃんと減価償却してる?」
「はあ?」
この話を聞いたとき、教室は爆笑の渦でしたが、ひとしきり笑い声が絶えた後、
数秒の沈黙がありました。
「明日はわが身…」
きっと、みんながそう思ったことでしょう。
他にもいろいろな人がいました。自分を振った彼女を見返してやろうと受験勉強を始めた人、
とてものんびりした性格が災いして、うっかり受験の申し込みを忘れてしまい、
「また来年!」となってしまった人、ちょっとわかるとすぐ「見切った!」と叫び、
実際は全くテストの点が上がらない人、などなど…
あの頃の仲間たちは、今、どうしていることでしょう。
みんな、合格しているといいな、と考えてみたりします。
カテゴリー:第02章 世捨て人と呼ばれて
柴山式受験ノウハウ
初めての講義が、期待と不安の中、終了しました。
1時間ほど昼休みを取った後、続けて2回目の講義が行われます。
私は、隣のパンチ君に声をかけました。
「君、簿記の勉強したことある?」
「いや、全然ないんだ。君は?」
「大学では経済学を専攻してたけど、全然勉強してなかったよ。」
「そう。俺は中央大学の法学部にいたから、はなっから簿記とか会計とかは縁がなかったな。」
「ふうん。でも、法学部なら司法試験を目指すのが普通じゃないの?」
そう問いかける私からふっと目をそらすと、パンチ君は決まり悪そうに答えました。
「いやあ、ほら、司法試験って合格率がすごく低いじゃない。
独立開業できる資格を取りたいと思ったんだけど、やっぱりもう少し合格率が高いほうがいいかな、
なんて思ったりして…」
なんか、どっかで聞いたような話です。案外同じようなことを考えている人が多いんだな、と思いました。
しかし、これはあとでつくづく実感したことなんですが、おそらく、2%だろうが6%だろうが、
10人に1人も受からない試験に変わりはないわけで、受かるタイプの人は受かる、
受からないタイプの人は受からない、という受験界の真理は確実に存在するんですね。
ちなみに、私は、受験勉強スタートにあたって、1つの戦略を立てました。
具体的には、東大・一橋、または早稲田・慶応あたりの人と友達になることです。
特に、東大生は意識しました。
「なんだ、これが戦略かいな!」
とがっかりしたあなた。まだ失望するのは早いですよ。
理由をお話します。
まず第1に、わたしはそれまで1日3時間以上の自宅学習をした経験がほとんどないこと、
第2に、大学受験の浪人時代にいたるまで、まともに塾へいった経験すらないこと、
さらには、浪人時代にも予備校の授業を半分も出ず、ゲームセンター浸りだった、
という厳然たる事実があります。
つまり、受験勉強のためのノウハウを全く持っていなかったのです。
そこで、私なりに悩んだ末、出した結論が、「東大生の勉強方法を真似しよう!」という戦略(?)でした。なにせ、彼らは小・中・高と、各世代で受験競争を勝ち抜いてきた、いわば「受験のプロ」です。
そのやり方を100%真似ることは無理かもしれませんが、8掛けぐらいは実行できるんではなかろうか、と考えたのです。
それでは、はたしてその成果は?
結論からいいましょう。そのやり方は大正解でした。
事実、私が目をつけた東大君は、大学1年生になったばかりで、
前年の駿台予備校の公開模擬試験で全国10位以内に入ったという天才児です。
ちなみに、彼は予想通り、翌年余裕で1発合格を果たしています。
おかげで、私も1年後には彼に及ばないものの、合格圏に入ることはできたのです。
あとは性格の問題だったのですが…
ともあれ、私はきらりと目を光らせながら、入門講座当初から彼の受験方法を逐一観察していました。
そして、あることに気付いたのです。
それは、「人の3倍勉強することを楽しんでいる。」ということでした。
この事実を目の当たりにしたとき、私は価値観を180度変えざるを得ませんでした。
たとえば、ある日こんなことがありました。
簿記の入門講義も第3クールにはいったころです。各クールごとに1冊ずつテキストが配本されます。
私たちは、第3クール第1回目の授業に望みました。
開始5分前のことです。ドラえもん先生が、私の隣にいた東大君の前に立ち、話しかけました。
「今回のテキスト、計算違いとか表記違いがあった?」
「いえ。大丈夫だったみたいですよ」
横で聞いていた私は、一瞬自分の耳を疑いました。
先生が1受講生に、テキストの内容に誤りがないかどうか尋ねているのです。
たしかに、その気になれば、テキストは2週間以上前に入手することは可能だったでしょう。
しかし、私などは、講義の当日にはじめて専門学校の受付で手にしたばかりです。
「ねえ。君はもう、このテキスト読んだの?」
おそるおそる聞いてみました。
「ええ。そうですけど」
別に入門なんだから、大したことないじゃん、といわんばかりの顔です。
「難しくなかった?」
「まあ、ときどき…でも、簿記って要するにパズルみたいなものだから、解説を読みながらやれば、
何とか独りでも勉強できますよ」
カルチャーショックでした。
私などは、簿記の勉強を苦痛と感じていました。
しかし、それが東大君にかかると「パズルの1つ」になってしまうのです。これでは勝負になりません。
それからもう1つ、印象的なことがありました。
その日は前回実施された実力テストの講評が行われました。
その時、珍しく、私が彼より少しだけ良い点数を取れたのです。
これは本当に嬉しかったですね。
その時、彼は私の答案を見て叫びました。
「ちっきしょー。やっぱり柴山さん、そこ、できてましたか。イージーミスしちゃいましたよ。
でも、次は絶対負けませんからね!」
人目もはばからず、悔しさを体いっぱいに表現していました。
しかし、それがまるで、サッカーの試合の後のようにさわやかな雰囲気なのです。
「負けたくない!」という気持ちが人一倍強いのでした。
彼の特徴を簡単にまとめます。
第1に、「人より3倍努力することを楽しんでいる」こと。
第2に、「強烈な競争心を持っている」こと。
第3に、「気持ちの切り替えが早い」こと。
これだけの資質を備えていれば、合格の栄冠は手中にしたも同然です。
ちなみに、はからずもこのことは、私が以前、池袋の営業で学んだことに通じるものがありました。
トップセールスマンの共通点です。
第1に、「人の遊んでいる時に努力を惜しまない」こと。
第2に、「ぜったい1番になってやる、という闘争心と、自信を持ち合
わせている」こと。
第3に、「お客さんから罵倒されても、すぐに立ち直れる」こと。
皆さん、どうですか?受験も仕事も、結局は自分自身との戦いである、と考えるならば、
高い目標を達成するための心がまえは、どんな場面であれ、本質的に同じなのではないでしょうか。
カテゴリー:第02章 世捨て人と呼ばれて
専門学校登校初日
その日は、朝から五月晴れで、とてもすがすがしく、受験勉強スタートにはもってこいでした。
私は、真新しい電卓とテキストを手に、商業簿記の入門講義に向かいました。
第1回の講義が始まる10分前に教室に着いたのですが、一歩そこに足を踏み入れ、
教室いっぱいの人にビックリしてしまいました。
そのクラスは、全部で50人以上いたでしょうか。すでに戦闘意欲むんむんの、むせ返るような熱気です。
とりあえず、後ろの方の座席は全てふさがっていたので、
しかたなく教卓に近い一番前の方まで歩いていきました。
入口から黒板の近くまでは、50メートルくらいあったでしょうか。
そこまでの道のりがとても長く感じられたのをよく覚えています。
黒板に向かって右側が窓のそばの席です。一番前の窓の近く、通路側の机が空いていました。
「ここ、いいですか?」
「どうぞどうぞ」
隣に座っていたのは、ややパンチパーマ気味のちょっとこわもての兄さんでした。
ほどなくして、簿記担当の先生がのっしのっしと壇上に上がって来ました。
体が(横も縦も)大きく、腕まくりしたYシャツの先から丸太のような腕がニョキッと生えています。
外見からは、とても知識産業の人には見えません。
その時は、公認会計士ってこのようにごつい人が多いんだろうか、と少し考えたりもしました。
「皆さんはじめまして。」
先生のあいさつが始まりました。話し口調がいかにもしゃきしゃきしていて、とても小気味よく、
私の波長に合う先生でホッとしました。
「ねえ君。」
となりのパンチ君が小声で私に話しかけます。
「なに?」
「あの先生、ドラえもんに似てない?」
なるほど、と思いました。
「でも、見ようによっては『巨人の星』の左門豊作っぽいよね」
「うまいこというね、くっくっく…」
私たちは、汗をかきかき熱っぽく公認会計士受験の心得を語る先生を尻目に、
ただただ笑いをかみ殺していました。
かくして、私の登校初日の授業は、なんとも緊張感に欠けたスタートとあいなったのです。
カテゴリー:第02章 世捨て人と呼ばれて
「柴山が卒業式に来てないぞ!」
年が明け、公認会計士試験の受験を目指すことになりましたが、問題が一つありました。
内定を頂いた会社にはどう言って了承してもらうか、これが頭痛の種でした。
子供の約束ではないのだから、いったん“Yes”といったものを後でくつがえすには、
それ相応に相手を納得させる理由が必要です。
たとえば、内定が決まったあと親が倒れてしまい、急遽実家に帰ってその後を
継がなければならなくなったとか、不治の病に倒れてしまったとか、
よほどの事情がなければ通りません。
そこでとった手段が、「大学を卒業できなかった」という理由付けです。
以前に、卒業単位が足りないため留年し、内定後入社ができなかった人がいたらしく、
それは不可抗力として取り扱われていたことを聞いていました。
その前例を活用(?)させてもらおうと考えたのです。
もちろんこれで全てが丸く収まるわけではないのかも知れません。
ただこの時点では、「柴山はばかな奴だなあ」ぐらいに思われることは全然苦になりませんでしたし、
これでいままで私の就職活動をめぐって苦労していただいた方へのせめてもの決意の表明ができれば、
と思い、あえて2科目分の単位不足という形で留年しました。
卒業式を目前に控えた2月、3月の頃は、全く大学へは行かず、
もっぱら秋葉原の支店で(専門学校の授業料+翌年分の大学の学費)稼ぎで忙殺され、
実は大学の同級生には全然留年のことを伝えていませんでした。
そんなこんなで、あっというまに卒業式の日がやってきました。
その日もやはり、私は副支店長として秋葉原で販売に精を出していたので、
すっかりそのことを忘れていたのです(もちろん、その時の私には全く関係のないこととなっていましたが…)
その夜、午後11時過ぎに家に帰ってみると、留守番電話に同級の友人からメッセージが入っていました。
「おーい、柴山!どうしたんだあ。卒業式にお前の姿がないんで、みんなびっくりしていたんだぞ。
これ聞いたら、電話をくれ。」
私は、今日が卒業式であり、そういえばアルバイトにかまけて大学の人間には
全く事情を話していなかったことをようやく思い出し、あわてて彼の所に電話を入れました。
「もしもし、柴山か?お前、一体どうしたんだよ。『柴山が卒業式に来てないぞ!
行方不明にでもなったのか?』ってみんなで心配してたんだぞ。訳を教えてくれよ。」
「ごめん。実は俺、留年したんだ。」
「りゅうねんだって?」
その後、私はかいつまんで単位をわざと落とした経緯を友人に話しました。
「そうか、なるほどねえ。しかしまた、ずいぶんと思い切ったことをしたもんだな。
公認会計士って、すごく難しいんだろう。」
「合格率は6%ぐらいかな。」
「ろくぱーせんとお?それじゃあ、受かること事態が奇跡じゃん。
だいたい、お前が在学中に勉強しているところなんか、全くみたことないぞ。」
「ああ、たしかに。でもまあ、2~3年も頑張れば、何とかなるかなあ、なんて思ってたりして…」
「呆れた奴だな。せっかくいい会社に就職決まってたのに。まあいいや。もし万が一受かったら、
盛大に合格祝いやってやるよ。頑張れよな。しかし、これは凄いニュースだよ。
他の奴らがこのことを知ったらビックリするだろうな。」
というより、あきれるだろうなあ、とは私自身も思いました。
電話を切った後、彼が言った言葉を思い返してみました。
「万が一受かったら…」
どうやら、彼は私が合格するとは本気で考えていないみたいです。
ますます闘志がわいてきました。
「本当に合格して、興味半分で俺の受験を見ていた奴らをビックリさせてやる…」
さしたる根拠はなかったのですが、不思議と、この勝負に負ける気がしませんでした。
カテゴリー:第01章 受験生活スタートまでの紆余曲折
専門学校の受講料を稼げ!
そうこうしている間に、気がついたらもう年末でした。
私は、忘年会にかこつけて、再び池袋の社長の元へ訪れました。
その日は、あまり好きではない酒をじゃんじゃん飲んでしまい、
あっという間に終電の時間を過ぎていました。
そこで、近くの社長の家にご厄介になることとなったのです。
「すみません。奥さんにごめいわくじゃないですか?」
「いいのいいの。今晩は実家に帰っていて、気楽な独身貴族だから。」
社長の住むマンションに着いたのは午前2時ごろでした。
「そういえば柴ちゃん、卒業後の進路はどうなったの?」
「ええ、あのあと会社の内定式に出席して、同期の人間たちと接しているうちに、
現実問題として仕事と会計士受験を両立するのは、よほどの天才でもなければ無理だな、
と実感しました。特に新人時代は独身寮に全員はいりますので、会社から帰っても、
勉強のための時間とエネルギーを確保するのは難しそうです。」
「つまり、どっちか一つに決めた、ということだね。」
「はい。」
短い沈黙の時間が流れました。
わたしは、差し出されたウーロン茶を一口飲み、ゆっくりと言葉を続けました。
「やっぱり、いずれは自分の城を持ちたい、という気持ちは変わりません。
内定をもらうまでの経緯で、いろいろな方に尽力してもらったり、
また、ご迷惑をかけた人がいたため、申し訳ないという気持ちから2番目の選択肢に
一時は傾いていましたが、同じ後悔するなら、やらずに後悔するより、
『やって後悔する』道を選びます。会社の方々には申し訳ないですが、
内定を辞退して、公認会計士試験に挑戦することに決めました。」
それまで私の話をじっと聞いていた社長が、意外にもぱっと明るい顔になりました。
「それはよかった。俺もその方がいいと思うよ。」
「え?てっきり社長には怒られると思ったんですけど…」
「まさか!俺が後ろ向きの選択を薦めるわけないだろう。たしかに、今度の柴ちゃんの決断によって、
迷惑をかける人がでてくる。その人達に対しての心遣いは当然必要だとしても、
やっぱりやりたいことをやらなくちゃ!『人は思う人になれる』だろ?信念だよ!」
この言葉で、私の気持ちが吹っ切れました。
「ところでさ。受験を決意した柴ちゃんにちょうどいい話があるんだけど、乗ってみない?」
「どういうことですか。」
「実はね、今現在、当社は池袋に本店が1つあるでしょう。
それで、春休みを睨んで、支店を秋葉原、渋谷、そして立川の3ヵ所に出そうと思うんだ。
そこで、柴ちゃんには、秋葉原支店に副支店長として2ヵ月ほど働いてほしいんだ。
1日平均10人~15人前後のアルバイト販売員を動かして、目標の売上げは、
2ヵ月約50日稼動で2,000万円以上だ。もちろん柴ちゃんには固定+歩合で支払うから、
目標をクリアできたら、専門学校の授業料には十分お釣がくる収入になるはずだよ。」
「僕に管理者になれ、ということですか?」
「そう。学生時代に人の上に立っておくことは、社会経験としても貴重な財産になると思うけど。
どう?やってみる気はないかな。」
たしかに、大型国家資格を取得するためには、専門学校の授業料は
年間で50万円くらい必要になるので、それをどう親に相談するかは悩みの種の一つでした。
また、どんなかたちであれ、人の上に立って仕事をしてみたい、
という希望は普段から自分の中にありましたので、私はその場で社長の申し出を引き受けたのでした。
その日は、私の人生にとって、大きな意味のある1日になりました。
カテゴリー:第01章 受験生活スタートまでの紆余曲折
会社の内定式に出席して
思えば数ヶ月前の春、あまり深い考えもなしに公認会計士を目指そうと決め、
卒業後の数年は仕事と受験を両天秤にかけて、などという都合のよい将来設計に基づき、
あれよあれよという間に就職先が決まりました。
「親や親戚も喜んでいることだし、やっぱり就職かな…」
この頃は、8:2の割合で入社に傾いていました。
ところが、そんな私の心を変える出来事があったのです。
内定が決まってから数ヵ月後、入社予定者約300名を集めた内定式がありました。
その時、同じ埼玉大学の仲間と初めて顔をあわせました。どうやらその年の採用枠は、
私を含めて2名だったようです。
後で知ったことですが、やはり、大学別にある程度の色分けはあったらしく、
東大、一橋大、そして早稲田・慶応に他の六大学の出身者は十人あるいは二十人以上の
同期生がいたみたいですね。
会場には、大学別の人だかりがあちこちにできました。
私と彼は、二人で会場の隅っこに陣取っていた(?)のです。
「柴山君、埼玉大学出身者で一番出世している人は、どのポストにいると思う?」
「さあ。」
そのあと、なにやらややこしい役職名を並べていましたが、よく覚えていません。
ただ、結論として、役員になれる可能性が皆無に近いということだけは分かりました。
「なんだ、どうやったって、一番にはなれないのか…」
そのときの私の感想です。
さらにその後、こんなことがありました。
30人前後のグループに分かれて、互いに自己紹介や意見交換をしたり、
先輩から入社後の心構えについての話を聞いたりなど、ディスカッションをする場が設けられました。
その中の一環として、社長の挨拶があったのです。
その時行われた、進行係の方の紹介は、次のような趣旨の内容でした。
「えー、それでは皆さん。これから我が社の社長にご登場いただき、
ありがたいお言葉を頂戴いたします。もしかしたら、皆さんの中には、
社長を間近に見られる一生に一度の機会かもしれません。心して拝聴するように。」
もしかしたら受け狙いのジョークのつもりだったのかもしれません。
しかし、とてもそれが冗談には取れないようなその場の雰囲気でした。
その時、なにかとても重たいものが頭の上にのしかかってくるような、そんな息苦しさを覚えました。
もしこのまま入社したら、組織の中に埋没してしまい、
初期の公認会計士受験という目標を見失ってしまいそうな、
そんな不安が急に心の中を支配し始めたのです。
そんな不安感は、1日が終わり、自宅に帰ってからもずっと、消えることはありませんでした。
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仕事と受験勉強は両立するか?
夏休みも終わりに近づいた頃、久しぶりに前のアルバイト先の事務所を訪問しました。
とりあえず就職も決まったので、すっかり気分はリラックスしていました。
その会社は、池袋の東口にありました。
業種は、大手教材メーカーの通信教育機器を各家庭に伺って販売する、いわゆる「訪問販売業」でした。
商品自体は平均的な学力を持つ子供向けに作られた、良心的なものだったのですが、
いかんせん外回りの営業です。
なかなか初対面では各家庭のお母さん方も警戒して話を聞いてくれません。
この商売、1に笑顔、2に愛嬌、3、4がなくて5に度胸、
てな具合で販売員のトータル的な印象度が大きく営業実績に影響します。
さいわい私は、それなりに話を合わせるのが苦手な方ではなかったので、
そこそこ商品を買っていただくことができました。
また、基本的に歩合給制だったので、たくさん売れれば、それだけ収入を得ることが可能でした。
学生の身分ながら、売れ行きのよいときには1ヶ月で30万円以上の収入を得ることも夢ではなかったのです。
そこの社長さんは、私より10歳近く上の方だったのですが、なにせバイタリティが凄く、
ずいぶんと刺激を受けました。また、仕事や日常生活の面でも色々と相談に乗ってもらったこともあり、
当時、私にとっての人生の師とも言える存在でした。
当時社長さんから教わり、今でも一番心に残っている言葉があります。
「人は思う人になれる。」
私は、その後の生活で様々な壁にぶつかった時、必ずこの言葉を思い出しました。
そしてこれからも、私の座右の銘であることに変わりはありません。
「やあ柴ちゃん。お久しぶりっこ!」
あいかわらずです。
「ご無沙汰してます。実は先日、内定が決まりました。そのご報告がてら、よってみたんですけど…」
「そう。おめでとさん。ところで柴ちゃんさ、前に言ってた公認会計士の受験はどうするの?」
「それなんですが、まずは仕事をしながら1日2~3時間ぐらい勉強して様子を見、
日商1級を取るぐらいまでに本格的な受験生活に入るかどうか決めようかと思っています。」
「あっそう。そういうやり方もあるんだろうけど…」
「仕事との両立はやっぱり難しいでしょうか?」
社長はすこし考え込むような仕草を見せました。
「そうねえ。やってやれないことはないんだろうけど…
でも、保険会社も普段はずいぶん忙しいって聞くし、酒の付き合いもあるだろうし。
柴ちゃん、酒は全然ダメだったよね。」
「ええ。」
「まあ。優良企業に就職が決まったんだから、そのままずっとお世話になるのなら
それでもいいんじゃない?」
「そうですね。そういう選択も残しておけますもんね。だから、受験勉強とのバランスをとりつつ、
将来のことを考えてみます。」
「でも、柴ちゃんにそんな器用なことは無理だと思うな。」
「え?どういうことですか?」
「ここでの仕事のやり方を見ていると、柴ちゃんは一つのことに入り込むタイプだから、
会社の仕事にいったんはいったら、そっちの方に傾斜する可能性がとても高いってこと。
つまり、両立は現実問題としてよほどの覚悟が必要になるけど、難しいってことさね。」
社長の言うとおりでした。
あと半年も経てば卒業です。公認会計士試験を目指すには、
本来、生活の大部分をそちらに優先させるべきなのに、私は逃げ道を用意している。
社長の言葉の端々から、そんなニュアンスさえ伝わってきました。
「やはり、将来的には独立できる資格を取りたいです。だから、もう少し時間をかけて、
ゆっくり考えてみます。」
そう言って、その日は事務所を後にしました。
やはり、仕事をしながら大型資格を取るのは難しいのでしょうか。
しかし、仕事をせずに受験一色の生活を始めるには、合格の保証がないだけに、かなりの勇気がいります。
また、私を推薦してくれたOBの方々への手前もあります。
「しばらくは眠れない日々が続くな…」
まだまだ、前途は多難です。
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内定をめぐる悲喜こもごも
いよいよ面接です。さすがに緊張が高まり、面接室に行くまでの10分間で、2回もトイレに行ってしまいました。
実際のところ、本番中は、どんなことを聞かれ、どう答えたかはまるで覚えていません。よほどあがっていたのでしょう。面接室から出て先輩の待つ控え室へ、どうやって辿り着いたのかさえ思い出せなかったくらいなのですから。
その後、結果が出るまでしばらく待機するよう命じられ、全く自信のないまま、たて続けにブラックコーヒーを3杯ほど飲み干しました。
30分ほど待ったでしょうか、先輩が無表情で控え室に入ってきました。
その雰囲気に、「落ちたかな」、と半分覚悟を決めました。
ところが、予想に反して合格の旨を伝えられたのです。
「やったあ!」
ここまでいろいろとあったため、喜びもひとしおです。自然と笑みがこぼれてきました。
しかし、そんなわたしのリアクションとは裏腹に、先輩の表情はいまだ固いままです。どうしたんだろう、と少しばかり不安になりました。
「ところで柴山君さ…」
ようやく重い口が開かれました。
「君、他にも内定をもらっている、と前に言っていたよね。」
「ええ。ずいぶん前にいただいた内々定はすでにお断りしていますので、今のところ、証券会社1社のみです。」
「そう。それで、君はこれからどうするつもり?」
先輩の目が、真っ直ぐに私を見据えています。どうやら、私の意思を確かめているようです。この場に及んではじめて、私がこの大企業に就職を決めるということの重大さに、遅まきながら気付きました。
私は、ゆっくり間を取りながら、慎重に言葉を探しました。
すでに、私を推薦するべく数人のOBの方に骨を折ってもらっています。
さらに留意すべきことは、当社のような大企業への埼玉大学からの就職枠は限られています。一度内定が決まってしまえば、生半可な理由でこれを辞退すると、来年以降の採用枠が減るかもしれません。つまり、私の挙動が先輩・後輩に迷惑をかけてしまうこともありうるのです。
「大変光栄に思っております。」
実は、大変勝手で申し訳なかったのですが、その時にはまだ、正直言って証券会社への未練が多少あったため、2~3日ほど考える時間がほしいな、と思っていました。
それが、このようなあいまいな答えに現れてしまったのです。
「まあ、君にも色々事情があるだろうから、もちろん強制はしない。だが、僕たちにも採用の都合があるから、できればこの場で最終決定をして欲しい。どうだろう。同じ大学の出身者なんだから、変に気を使ったりせず、正直なところを聞かせてくれないか。」
さすがに社会人です。学生の考えそうなことは、はなからお見通しでした。
ただ、見方を変えれば、それだけ新卒の学生を確保することが、当時の企業にとっては重大な問題だったので、先輩も必死でした。
数分の沈黙が、その場の空気をより一層重いものにします。
YesかNoか。はっきりさせずにはいられない状況に置かれました。
「わかりました。御社でお世話になります。どうぞ、よろしくお願いいたします。」
声を絞り出すようにして、短く答えました。
はじめて、先輩の顔に笑みがこぼれます。
「そうか。ありがとう!これで俺も上司に対して面目が立つよ。」
私たちは握手を交わしました。
しかし、次の瞬間、またもとの厳しい顔に戻り、たたみ掛けるように言葉を投げかけます。
「それじゃあ、もう一つの証券会社には、断りの電話を入れなければならないな、柴山君。」
「はい、そうですね。それではこのあと、自宅に戻ったら早速先方に連絡します。」
いや、と間髪入れずに先輩が続けました。
「すまないが、今、この場で連絡を入れて欲しい。君を信用していないわけではないんだが、人事担当責任者にも、この件についてはきちんと片付いたことを報告しなければならないんだ。」
その時、はじめて社会の厳しさを垣間見た気がしました。
「承知しました。では、そこの電話機を使わせていただきます。」
証券会社の採用担当直通の電話番号をダイヤルすると、4度ほどベルが鳴って、私の担当の方がちょうど受話器を取りました。
「もしもし。ああ、柴山君?急にまたどうしたの。何か相談事?だとしたら金の話はダメだよ、はっはっは…」
何も知らない担当の方は、無邪気に冗談を飛ばしています。私はとても笑う気にはなれず、つとめて平静を装い、用件を述べました。
「あの、実は…大変申し訳ありませんが、先日頂いた内定を取消させていただけないでしょうか。勝手を言って、本当にすみません。」
「え?ど、ど、どういうこと?他の会社に決まったの?」
受話器の向こうで、ガタッと席を立つ音が大きく響きました。相手の驚きようが手にとるように浮かびます。
「そう。わかった。それじゃあ、今から会いに行くから。ぜひ話をさせてよ。な、頼むから。今どこにいるの?すぐそっちに行くよ!」
「いえ、それがその…」
一瞬の間がありました。その時、担当の方も全てを察したようです。
「ひょっとして、今、会社?」
「はい。あの、本当にすみません!」
私はただ、見えない相手に深々と頭を下げ、謝罪の言葉を繰り返すばかりでした。
「そうか。それじゃあ仕方ないね。本当に残念だけど、君もずいぶん悩んだんだろうから、もうこれ以上は言わないよ。今のご時世じゃあ、そう珍しいことでもないからね。ともかく、君は君なりに、頑張ってくれよ。」
「ご理解いただき、ありがとうございます。すみませんでした。」
受話器を置いた瞬間、思わず涙がこぼれそうになりました。
「ごくろうさま。ありがとう。でも、今は本当に人材を確保するのが大変な時代だから、こういうことは時々起こるんだ。君も、すっきりと気持ちを切り替えて、頑張ってくれよ!」
そういうと、先輩はやや大袈裟に私の背中を2回叩き、励ましてくれました。
こうして、大学4年の夏に、就職活動がひとまず決着したのでした。
カテゴリー:第01章 受験生活スタートまでの紆余曲折
「その頭じゃ駄目だ!七・三に分けなさい!」
実を言うと、それまでにもう、第3志望である中堅の保険会社1社から内定の約束(内々定という奴です)をもらい、もうひとつ、証券会社から1つ内定を頂いている状態でした。
最後にOB訪問したその会社は業界ベスト3に入る大手で、一歩ビルに入ったとたん、その大きさと綺麗さに圧倒されたのです。
「やあ、君が柴山君か。僕は昭和〇〇年に卒業した××だ。よろしく頼むよ。一緒にこの会社を盛り立てていこう!」
私より15~16歳くらい年上だったでしょうか。気さくな方でした。
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
ところが、あいさつが終わるや否や、先輩は僕の頭をまじまじと見るなり、眉をひそめたのです。
「柴山君、その頭、まずいよ。」
「は?どういうことでしょうか。」
「昨夜も電話で話したとおり、これから人事担当責任者の人に面接してもらうんだけど、そんな冴えない浪人生みたいなザンギリ頭じゃあ、相手の心証を悪くするのは目に見えてるよ。しかも、寝ぐせまでついてるじゃないか」
「はあ…すみません。」
先輩は、黙って窓の方へ歩み寄って行きました。
「あそこを見てごらん。」
なんだろう、と思いながらも、窓に近づき、窓の下の同じ方向を見ました。
「床屋さんが見えますね。」
まるで他人事のように呟く私の言葉には答えず、先輩は懐から財布を取り出し、千円札3枚を私の目の前に差し出したのです。
「これで、あそこに行って来るんだ。」
私は、一瞬、彼の言葉の意味が理解できませんでした。というよりは、思いもよらない展開だったのです。
「あの床屋さんへ行って、七・三に分けてもらいなさい。面接までまだ時間がある。今なら空いているだろうからすぐに切ってくれるよ。さあ、行っておいで。」
NOと言う間もなく、私は背を押されたのでした。
何ともいえない憂鬱な気分に包まれました。私は、昔からおでこが広く、髪も猫毛でふわふわしており、横分けにするととても間の抜けた顔になってしまうのです。
できればそれだけは勘弁して欲しいと思ったのですが、ある意味人生がかかっている訳なので、渋々、散髪に行くことにしました。
しかし、きっと、こんなことは前代未聞なのでしょうね。まさか会社訪問先で「散髪してこーい!」などといわれてお金をもらい、床屋さんに行くなんて、誰も想像できませんよね。
まあ、今思うと、出掛けにきちんと身の回りのチェックをしなかった自分が馬鹿だったということなのですが…
そんなこんなで1時間後、見事な七・三分けのダサい男に変身し、私は再び先輩の前に現れました。
「うん、これだよ、これ!これならビジネスマンらしく見えるぞ!なあ、お前もそう思うだろう?」
先輩は、満足そうに、隣にいたもう一人のOBに向かって言いました。
その時、私は、窓ガラスに映る自分の姿を見て、
「これは俺じゃない!どこかの怪しいセールスマンだ!」
と、心の中で叫んでいました。
カテゴリー:第01章 受験生活スタートまでの紆余曲折
就職戦線バブル組
この頃の世情を反映する面白い映画がありました。「就職戦線異常なし」という、織田裕二さん主演の映画です。
私は、数年後の不況期にこの映画をテレビで見たのですが、非常に懐かしい感じがしたのと同時に、「ありゃあやっぱり異常でしょ?」と考えさせられたのを憶えています。
当時の会社案内のパンフレットは、学生の目を引くために作られたためもあって、どれもこれも将来を約束されたかのような、希望に満ちた内容のオンパレードでした。
たとえば、全室個室で最新冷暖房設備を備えた、どこかの新築マンションかと錯覚するほどの素晴らしい独身寮を作ったとか、三十歳代前半で年収1千万円も夢ではない、などなど、会社案内を呼んでいるだけで、自然と胸が躍ったものです。
実際、ある程度の大学にいる人ならば、それほどしゃかりきに努力しなくても、大抵は内定が取れました。そして、もしも一人の人が複数の内定を得ようものなら、内定を出した会社の間で、争奪バトルが繰り広げられるのです。
そう考えると、前後の時代に比べ、こと就職に関してはかなり恵まれていたのでしょう。ただ、人生は上手くできたもので、入る時に楽した分、その後にとても厳しい現実が待っているのですが…
ともあれ、実際のところ私の属する年代は、「バブル世代」だの「新人類」だのと、いかにも浮ついた人種のように評されていました。
そういえば、「シラケ世代」、「指示待ち世代」なんていう言葉もありましたね。
このように、楽観ムードに支配された世相を反映してか、私自身、ずいぶんとのんびりした就職活動をしていました。
希望先の会社にいる大学の先輩を訪ねるOB訪問も、それほど危機感もなく3社ほどこなした程度でした。その中の1社に、いったんは本気で就職を考えた大手保険会社があったのです。
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大甘な受験計画
私の大学は、もともと教育学部の規模が大きく、卒業後の進路として教師の道を選ぶ人が大半でした。
我が経済学部においては、教職免許を取得して教師になる人もいましたが、地元の銀行や公務員としてお役所に就職する人が非常に多かったと記憶しています。
4月ともなれば、もうすでに就職活動は活発でしたから、私もあまりのんびりとしてはいられません。
さすがに10社くらいは資料請求のハガキを出し、6社ほど面接を受けました。
業種は、製造業が1社、銀行が1社、証券会社が1社、保険会社が3社と、金融機関中心でした。
不況の今からすると、何て甘い就職活動なんだろうと思われるでしょうが、当時は、いわゆる「売り手市場」という状況で、大学生を多く採用することに会社の威信を賭けているかのような世相でしたので、卒業後の進路については全く悲観していませんでした。
いちおう私が立てた受験計画としては、まず新卒でどこかの会社に就職する。
その後、仕事が終わったら、毎日自宅で3時間程度受験勉強をして、日商簿記検定と税理士の簿記論・財務諸表論を受け、ある程度の実力と資金的めどがついた頃を見計らって、本格的な受験準備を始める、というものでした。
ただ、公認会計士試験は7科目を同時に受けなければならないことから、それがきつくなりそうだと判断した時には、そのまま1科目ずつの受験が可能な税理士試験に方向転換する、という安易なスケジュールだったのです。
しかしながら、当時の私は、「これで資格取得後はバラ色の人生だ!」などと、たいした根拠もなくすっかりその気になっていたのだから、今から思い返すと、何てめでたい奴なのだろう、と恥ずかしくなります。
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とにかく独立したい!公認会計士という資格との出会い
あれはまだ、世間がバブルで踊っていた昭和63年の春のことでした。
私は、埼玉大学という浦和にある地方大学の4年生になったばかりで、
そろそろ卒業後の進路を考えなければならない時期に来ていたのです。
「俺は〇〇証券に応募しようと思っているんだけど、柴山はどうする?」
こんな話が、友人との間で日常ひんぱんに行われていました。
そんなおり、はじめの頃は、経済学科に所属していたこともあり、
何となく金融関係の仕事に就こうと考えていました。
ただ、いつまでも勤め人のままでいるつもりはなく、
いずれは独立開業できる仕事をしたいと思っていたのです。
そこで最初に候補としたのは、税理士でした。
理由は簡単です。司法試験は合格率が2%ぐらいで、
受かること自体が奇跡のように思えたことがひとつ、
そして、もう少し合格率が高くて、なおかつ多少なりとも自分の専攻と関係のある経済関連の大型資格で知っていたのが税理士資格だけだった、というのがもう一つの理由です。
つまり、はじめは「公認会計士」という職業の存在すら知りませんでした。
今でも忘れませんが、ある日曜日の昼間、神保町にある三省堂書店に行って専門学校のパンフレットをいくつか手にし、近くの喫茶店でコーヒーを飲みがてら、資格の内容を興味深々に検討していました。
そこで初めて、「どうやら税理士資格よりも幅広い国家資格があるようだわい」と、
公認会計士の存在を知るにいたったのです。
別に、業務内容をこと細かく検討したわけではありません。
だいいち、「監査は公認会計士の独占業務である!」などと仰々しく言われたところで、
「カンサって、何それ?」くらいの意識しかなかったのです。
強いて公認会計士試験に挑戦してみよう、と思った決め手を挙げるならば、
それは「公認」という言葉がとてもスマートに見えた、ということと、
「独立後、年収1千万円以上も夢ではない!」というようなキャッチフレーズにとても魅力を感じたからです。案外いいかげんな動機ですみません。
なにはともあれ、簿記の「ボ」の字も知らない私は、大学受験のときでさえ1日3時間以上自習した経験がないくせに、難関資格といわれる公認会計士試験に挑戦することを、あっさりと決めてしまったのです。
カテゴリー:第01章 受験生活スタートまでの紆余曲折
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