いよいよ面接です。さすがに緊張が高まり、面接室に行くまでの10分間で、2回もトイレに行ってしまいました。
実際のところ、本番中は、どんなことを聞かれ、どう答えたかはまるで覚えていません。よほどあがっていたのでしょう。面接室から出て先輩の待つ控え室へ、どうやって辿り着いたのかさえ思い出せなかったくらいなのですから。
その後、結果が出るまでしばらく待機するよう命じられ、全く自信のないまま、たて続けにブラックコーヒーを3杯ほど飲み干しました。
30分ほど待ったでしょうか、先輩が無表情で控え室に入ってきました。
その雰囲気に、「落ちたかな」、と半分覚悟を決めました。
ところが、予想に反して合格の旨を伝えられたのです。
「やったあ!」
ここまでいろいろとあったため、喜びもひとしおです。自然と笑みがこぼれてきました。
しかし、そんなわたしのリアクションとは裏腹に、先輩の表情はいまだ固いままです。どうしたんだろう、と少しばかり不安になりました。
「ところで柴山君さ…」
ようやく重い口が開かれました。
「君、他にも内定をもらっている、と前に言っていたよね。」
「ええ。ずいぶん前にいただいた内々定はすでにお断りしていますので、今のところ、証券会社1社のみです。」
「そう。それで、君はこれからどうするつもり?」
先輩の目が、真っ直ぐに私を見据えています。どうやら、私の意思を確かめているようです。この場に及んではじめて、私がこの大企業に就職を決めるということの重大さに、遅まきながら気付きました。
私は、ゆっくり間を取りながら、慎重に言葉を探しました。
すでに、私を推薦するべく数人のOBの方に骨を折ってもらっています。
さらに留意すべきことは、当社のような大企業への埼玉大学からの就職枠は限られています。一度内定が決まってしまえば、生半可な理由でこれを辞退すると、来年以降の採用枠が減るかもしれません。つまり、私の挙動が先輩・後輩に迷惑をかけてしまうこともありうるのです。
「大変光栄に思っております。」
実は、大変勝手で申し訳なかったのですが、その時にはまだ、正直言って証券会社への未練が多少あったため、2~3日ほど考える時間がほしいな、と思っていました。
それが、このようなあいまいな答えに現れてしまったのです。
「まあ、君にも色々事情があるだろうから、もちろん強制はしない。だが、僕たちにも採用の都合があるから、できればこの場で最終決定をして欲しい。どうだろう。同じ大学の出身者なんだから、変に気を使ったりせず、正直なところを聞かせてくれないか。」
さすがに社会人です。学生の考えそうなことは、はなからお見通しでした。
ただ、見方を変えれば、それだけ新卒の学生を確保することが、当時の企業にとっては重大な問題だったので、先輩も必死でした。
数分の沈黙が、その場の空気をより一層重いものにします。
YesかNoか。はっきりさせずにはいられない状況に置かれました。
「わかりました。御社でお世話になります。どうぞ、よろしくお願いいたします。」
声を絞り出すようにして、短く答えました。
はじめて、先輩の顔に笑みがこぼれます。
「そうか。ありがとう!これで俺も上司に対して面目が立つよ。」
私たちは握手を交わしました。
しかし、次の瞬間、またもとの厳しい顔に戻り、たたみ掛けるように言葉を投げかけます。
「それじゃあ、もう一つの証券会社には、断りの電話を入れなければならないな、柴山君。」
「はい、そうですね。それではこのあと、自宅に戻ったら早速先方に連絡します。」
いや、と間髪入れずに先輩が続けました。
「すまないが、今、この場で連絡を入れて欲しい。君を信用していないわけではないんだが、人事担当責任者にも、この件についてはきちんと片付いたことを報告しなければならないんだ。」
その時、はじめて社会の厳しさを垣間見た気がしました。
「承知しました。では、そこの電話機を使わせていただきます。」
証券会社の採用担当直通の電話番号をダイヤルすると、4度ほどベルが鳴って、私の担当の方がちょうど受話器を取りました。
「もしもし。ああ、柴山君?急にまたどうしたの。何か相談事?だとしたら金の話はダメだよ、はっはっは…」
何も知らない担当の方は、無邪気に冗談を飛ばしています。私はとても笑う気にはなれず、つとめて平静を装い、用件を述べました。
「あの、実は…大変申し訳ありませんが、先日頂いた内定を取消させていただけないでしょうか。勝手を言って、本当にすみません。」
「え?ど、ど、どういうこと?他の会社に決まったの?」
受話器の向こうで、ガタッと席を立つ音が大きく響きました。相手の驚きようが手にとるように浮かびます。
「そう。わかった。それじゃあ、今から会いに行くから。ぜひ話をさせてよ。な、頼むから。今どこにいるの?すぐそっちに行くよ!」
「いえ、それがその…」
一瞬の間がありました。その時、担当の方も全てを察したようです。
「ひょっとして、今、会社?」
「はい。あの、本当にすみません!」
私はただ、見えない相手に深々と頭を下げ、謝罪の言葉を繰り返すばかりでした。
「そうか。それじゃあ仕方ないね。本当に残念だけど、君もずいぶん悩んだんだろうから、もうこれ以上は言わないよ。今のご時世じゃあ、そう珍しいことでもないからね。ともかく、君は君なりに、頑張ってくれよ。」
「ご理解いただき、ありがとうございます。すみませんでした。」
受話器を置いた瞬間、思わず涙がこぼれそうになりました。
「ごくろうさま。ありがとう。でも、今は本当に人材を確保するのが大変な時代だから、こういうことは時々起こるんだ。君も、すっきりと気持ちを切り替えて、頑張ってくれよ!」
そういうと、先輩はやや大袈裟に私の背中を2回叩き、励ましてくれました。
こうして、大学4年の夏に、就職活動がひとまず決着したのでした。
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