初めて現場に行った日
念願の2次試験突破を果たし、やっと「会計士のタマゴ」になることができました。
他の合格した受験仲間の大部分がそうしたように、
わたしも、大手監査法人に就職することとなりました。
「これでやっと社会人になれる」
ようやく人生のスタートラインに立てたような気がして、毎日が夢心地でした。
10月中旬、わたしは国内部門に配属されました。
その後、あしかけ2週間の新人研修を経て、11月の初旬に初めての現場へでることが決まったのです。
初出勤を翌日に控えた夜のことです。母から電話がありました。
術後順調に回復したため、退院の許可をもらった、との連絡でした。
そのことを聞いた瞬間、一つ肩の重荷がおろせたような気分になったのを、今でもおぼえています。
「それでね…」
母が、言いにくそうに言葉を飲み込みます。
「なにか問題でも?」
「実は、これまでの入院費の未払い分、20万円近くを支払わないと、退院できないんだって。
ちょうど手持ちが今、なくってねえ。困ったよ」
20万円といえば、つい昨日まで無職同然の身だったわたしとしては、大変な金額です。
「まだ、給料日は先だしなあ…あ、そうだ。
そういえば、大学時代に作った〇×デパートのキャッシュカードで、
ちょうど20万円まで借りれたはずだよ。とりあえず、それで入院費を払おう」
あまり気が進まなかったのですが、背に腹はかえられません。
退院が延びれば、それだけ余計に入院費がかかります。
「悪いね。仕事をまた始められるようになったら、いずれ返すから」
母は、とてもばつが悪そうでした。
あくる日、いよいよ初出勤の時が来ました。
その日は朝からどんよりと雲が垂れ込め、今にも泣き出しそうな空模様でした。
わたしが所属することとなったチームは、4人で構成されていました。
おもしろいことに、他の先生方は3人とも50歳以上の方で、わたしにとっては、
親父が3人いるような、なんだか妙な感じでした。
朝は、往査先となる会社の最寄の駅に9時30分集合の予定でした。
初めてのことなので、ここはやはり早めに行くべきだろうと、
待ち合わせ時間の30分前に、到着しました。
それから20分ほどして、一人、また一人と公認会計士の先生がやってきます。
9時30分ちょうどになって、最後に、パートナー(役員)のN先生が到着しました。
「柴山君、今日からしっかり頼むよ。じゃあ行こうか」
N先生に続いて皆が歩き出そうとした時です。
「N先生、ちょっとすみません」
「どうした?」
「いや、実は…ちょっと緊急の用事で、キャッシュカードをつかえる場所を探しているのですが、
先生、この近くにあるかご存知ですか?」
N先生は、さすがに少々驚いたらしく、わたしの目をまじまじと見ていました。
「なんだ。いきなり金欠か?まあいい。
俺も若い頃は金がなくて、給料の前借りや質屋通いで苦労したもんさ。
キャッシュコーナーならあそこの角にあるよ。でもまあ、遊びもほどほどにな」
まるで、わたしが浪費ざんまいの挙句、金に困っているように勘違いされてしまいましたが、
言い訳をする気にもなれず、そそくさとお金を引き出しに行きました。
初めての現場に向かう記念すべき日に、いきなり20万円の借金…
人生、なかなか思い通りには行かないものです。
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